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日中首脳会談に思う(上)

日中、日韓の首脳会議が無事終わりました。東アジアの安定と繁栄のために、喜ばしいことと評価しています。しかしこれら会議、とくに日中の場合、開催実現のためには、双方の並々ならぬ努力が続けられてきました。そのネックになった最大の問題点は、やはり安倍首相の歴史認識と靖国参拝だったと思います。

そしてその解決策として、次の2点がお互いの水面下の了解事項として、双方が合意したといわれています。

(1)安倍首相は靖国参拝を明言しないが、在任中は事実上自粛する。
(2)安倍首相は国会で「村山談話」、「河野談話」を認める。

(1)は麻生外相が国会答弁で否定していますが、野党ならともかく自民党がわざわざ質問しているのでヤラセくさく、かえって可能性が大きいと思います。

(2)の説は、そういう答弁を与党が引き出すわけにはいきませんので、いささか疑問ですが、結果的には、社民党、共産党などの質問で、そういう答弁が引き出されました。まさかそういう質問をするように自民党が野党に頼んだわけはないと思いますが、結果としては社民や共産が日中首脳会談の実現の地ならしをしたことになります。もっとも社民党も共産党も日中首脳会談の実現を歓迎しています。

それにしても、安倍首相があれほど簡単に歴史認識の“転向”をするとは思っていませんでした。それほどこの会談の実現に意欲を燃やしていたのでしょう。また中国側からも、何とし
てもこの会談を実現したいとの強い意欲を感じました。これまで何かというと中国の脅威を唱えていた人たちにとっては、これも意外だったでしょう。

いつも中国に対し強い姿勢で臨む産経新聞の次の記事は、安倍首相の柔軟姿勢に期待はずれの思いをにじませています。なおこの記事も「YAHOO!ニュース」には掲載されていますが、産経Webには掲載されていません。

日中首脳会談 政治的対立を回避 首相、実務派印象付け」(産経、9日)
< ただ、安倍首相の政治活動の原点は「自虐史観と戦後民主主義からの脱却」にあっただ
けに過去の植民地支配を謝罪する「村山談話」を踏襲する考えを中国首脳に表明したことは
苦渋の決断だった。「双方が政治的困難を克服し、適切に対処したい」と答えた靖国参拝問題
についても、「小泉対中外交の全面的な路線転換だ。在任中は事実上(参拝を)行わないと表
明した」(山崎拓元自民党副総裁)との受け止め方が出ており、旧来の支持層にどう説明して
いくか、課題を残した。>

それではどうして日中双方がこれほどまでに強い意欲で首脳会談を実現させたのか、その理由を考えてみたいと思いますが、長くなりますので、次回に譲りたいと思います。

安倍首相とアインシュタイン

先日行われました安倍首相の国会における所信表明演説は、次のようにアインシュタインを引用して、格調高く締めくくられました。

< かつて、アインシュタインは、訪日した際、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」と述べています。21世紀の日本を、アインシュタインが賞賛した日本人の美徳を保ちながら、魅力あふれる、活力に満ちた国にすることは十分に可能である、日本人には、その力がある、私はそう信じています。>

これについて、今日の朝日新聞夕刊のコラム「窓 論説委員室から」は、次のように書いています。

< ところで、アインシュタインは旅行中、日本礼賛だけでなく軍国主義への危惧も語っているのはご存じだろうか。

 「日本にきてとくに気になるのは、いたるところに軍人を見かけ、平和を愛し、平和を祈る神社にも武器や鎧が飾られているのは、全人類に不必要なことと思います」 (略) 

 また大阪で開かれた歓迎会では、会場が日本とドイツの国旗で埋め尽くされ、軍国主義が支配するドイツに住みたくないと思っている当人は「あまりいい気持ちはしませんでした」という。

アインシュタインの引用は外務省のアイディアといわれる。「美しい国、日本」を掲げ、日本の美しい自然、長い歴史、伝統に誇りを持てという安倍首相も、締めにはぴったりと思ったに違いない。

 賢明な首相のことだ。演説に取り上げなかった部分も含め、すべて分かった上での引用だと思いたい。>

ちなみに、アインシュタインが来日したのは1922年(大正11年)、アメリカへ亡命したのはヒトラーが政権を握った1933年(昭和8)年、亡命後来日していたらその感想もまた違ったものになったでしょう。

天皇は神様?

私たち戦時中の小学生は、「天皇陛下は生き神様、すなわち現人神
(あらひとがみ」と教え込まれていました。しかしこれは、生まれた
時から皇国史観を刷り込まれていた私たちでも疑問でした。「それで
は天皇陛下は用便なぞされないのか?」。これは当時の多くの小学生
が持つ疑問でした。

ある人はいろいろ悩んだ上、「小」は考えられるが、「大」は考えら
れないという結論に達しました。またある人の国民学校では、学級を
二分して論争が行われたとのことです。

日本は『神の国』、天皇は『現人神』」

私を含む大部分の小学生は疑問を抱きつつも、先生に聞かれた時や、
作文に書く時は、タテマエとして、「天皇陛下は神様です」と答えて
いました。

ところでわれわれより少し年長の、軍隊の経験がおありの皆さんは
「現人神」を本当に信じておられたのでしょうか? われわれより、
教養も分別もある、もう大人だった皆さんが、こういう非科学的なこ
とを本当に信じていたとはとても考えられません。

この疑問に対し、何人かの元軍人からお答えをいただきました。以下
それについての感想です。

全文を表示 »

安倍首相の“転向”?

一昨日、昨日の衆院予算委員会は、久しぶりにおもしろい論戦が聞け
ました。そして、菅直人、志位和夫といった野党を代表する論客の鋭
い舌鋒によって、ガードの固かった安倍首相の「歴史観」のベールが
しだいにはがされていき、「村山談話」、「河野談話」の継承などは
もとより、祖父・岸信介の戦争責任まで、首相は認めるに至りました。

こうしてみると、首相のタカ派的な歴史観も案外浅薄なものだったと
思えます。取り巻きのウルトラ・タカ派連中の受け売り程度のもので
しょう。「後世の歴史家に任すべき」という逃げ口上は、ホンネを隠
すというより、その浅薄さを隠すためだったのでしょうか?

今朝の朝日、東京の両紙の社説は、こうした安倍首相の“転向”を評
価しています。

安倍政権 ちょっぴり安心した 」(朝日)
< 先の大戦を「自存自衛の戦い」と位置づける。日本政府の「謝罪
外交」を批判し、歴史教科書の「自虐史観」に修正を求める――。

 首相になるまでの安倍氏は、そうした考え方の議員グループなどで
中心的な役割を果たしてきたからだ。安倍氏のブレーンには、もっと
激しい主張の人々がそろっている。

 首相になった安倍氏が、政府の方針としてどんな主張を掲げるのか。
政府の歴史認識や基本見解は変更されるのか。多くの国民はそこを注視
してきた。

 だが、この1週間の安倍氏の答弁は、意外なまでのソフト路線に終始
した。安倍氏の従来の主張に期待した人々にとっては、拍子抜けだった
かもしれない。不安を抱いた私たちは少し安心した。>

安倍史観 逆戻りは許されない」(東京)
< 初の本格的な論戦の場となった衆院予算委員会で、安倍晋三首相
は“封印”してきた歴史認識を語り始めた。タカ派色を薄め、政府見
解を踏襲した「安倍史観」が示された。逆戻りは許されない。

 日本の「植民地支配と侵略」を認めた「村山談話」などは政治家個
人としても継承する。極東軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として裁
かれた国家指導者に戦争責任はあるが、戦争犯罪人ではない-。二日
間の論戦を通じて浮かび上がった首相の歴史観だ。>

森元首相は、安倍人気を「ハンカチ王子」になぞらえ、「かつて言っ
てきたこととまったく違うことを言い出した。若い政治家から内閣総
理大臣という重い立場に立ち、よく考えて話をしないといけないこと
をやっと分かってきた」と述べています。とかく放言で問題を起こす
森氏ですが、「ハンカチ王子」とは言い得て妙と、座布団一枚さし上
げましょう。

安倍首相は「ハンカチ王子」 真価はこれから、と森氏」(朝日、
7日)

ある主婦の遊就館レポート

安倍政権の登場で、靖国神社の「遊就館」が国会論争のテーマになるほど、脚光を浴びています。遊就館の見学記は、ネットにも多数見られるところですが、珍しくある主婦がブログにレポートを書いていますので、館内で上映されている映画「私たちは忘れない!」の部分を以下ご紹介します。

<映画の上映時間は50分。コイズミも大好きなヨシキとやらの歌声に乗せて、神社の境内が写り、「私たちは忘れない!」のタイトルバック。「フツーの」女の子のインタビュー。


終戦記念日頃になると頻繁に放送される「戦争ものドキュメンタリー」の暗いトーンとはかけ離れた明るい雰囲気の画面。

惨たらしい死体やケガ人、焼け野原などの「美しくない」映像は皆無。
そのかわりに、自国がどれだけ他国の横暴にあってきたか、それに対し国民がどれだけ勇敢に立ち向かったかを強調。
このままでは侵略され植民地にされるしかない日本は、自衛のために戦争をするしかなく、アジアの独立をかけた日本の勇気ある決断に、アジアの人達も拍手喝采。
その影で軍部に暗殺されたり、言論弾圧に苦しめられたり、拷問で死んだり、戦地で自決を迫られた人たちのことはオールスルー!
イタリアやドイツなどのファシスト政権と手を組んでいた事もさらりとスルー。

満鉄爆破事件までをも「しかたがなかったこと」と弁明。
東京裁判では東条英機を「被害者」として美化。

複雑な「戦争に至るまでの道のり」を、単純に一面的にとらえ、「とにかく日本は悪くなかった」の一点張り。
しだいに高揚するナレーターの女性の声のテンションはまさに「ピョンヤン放送」もとい「大本営発表」。
この空間では未だ「戦前」の価値観がまかり通っているのかと、愕然とさせられた。

ふと横を見ると、隣の男性が手でしきりに涙を拭っているではないか!

げ、と思い暗い館内を見渡すと、前の方では若い女の人がやはりハンカチを目元に当てている。へぇ~~~っっ???
逆に、お年よりは冷静?で、前の席のおじいさんは、途中で席をたったり、あくびをしたり。正直、こっちのほうがマトモな反応かと思われ。
上映室を早めに出て、後から出てくる人の反応を観察。「今泣いてた?」って感じの、眼球真っ赤な人が数人。いずれも若者だった。

ある意味「感動」するのは、当たり前である。
あのビデオは歴史の都合の良い部分だけをつなぎ合わせ、都合の良い解釈をして、感動させるように作られているからだ。それが、何の知識も先入観もない若者の真っ白な心に、うまく入り込むのだと思う。>

コーソツ主婦の靖国問題(2) おくればせ遊就館レポート!」

私はこの映画を見ていませんが、それほど若者が涙を流すとは知りませんでした。一方お年寄りの反応は理解できます。子供のころ、さんざ見せられたような内容でしょう。それもあるとき突然あれはすべて間違っていたと教えられたのです。

この映画を製作したのは「日本会議」。ウィキペディアによると、

<愛国主義・反共・「国益」重視を基本スタンスとし、親米保守主義の立場から提言を行っている。島村宜伸、麻生太郎、安倍晋三、山谷えり子、稲田朋美、平沼赳夫、高市早苗、下村博文、西村真悟などの政府与党系国会議員との結びつきが強い。(野党では松原仁ら)「全日本愛国者団体会議」(全愛会議)などと同じく、各保守系団体同士の連絡機関(労働組合で言うところの「ナショナルセンター」)の役割も果たしている。一般的には財界系右翼団体と認識されている。>

何と、ここに挙がっている国会議員のうち、麻生太郎、安倍晋三、山谷えり子、高市早苗、下村博文が安倍内閣のメンバーです。日本会議国会議員懇談会の中川昭一・ 会長代行は、自民党政調会長で安倍首相の盟友です。

この映画を見られた方は、ぜひ感想をお寄せください。あなたは涙を流されましたか?

安倍首相 村山・河野談話、個人としても受け入れ

昨日の衆院予算委員会では、民主党の管直人氏が主として安倍首相の歴史認識を中心に質問しました。名うての論客である菅氏の「首相になる前のと今ではいうことが違うではないか」との鋭い舌鋒に、総理は終始伏し目がちで苦しい答弁をしていました。終いには、「これでは“闘う政治家”でなく、“逃げる
政治家”と皮肉られる始末。きっと相手を見据え、身振り手振りで堂々と、はぐらかしの答弁をする前首相とは対照的でした。

これにより、「村山談話」や「河野談話」も、単に政府の見解というだけでなく、安倍氏個人の見解でもあることを認めざるを得なくなりました。

村山・河野談話、個人としても受け入れ 安倍首相答弁」(朝日、6日)

lこれを見ていますと、立花隆氏の言うように、安倍氏は育ちのよさからくる誠実な人柄で、そのウルトラ保守的な歴史観、戦争観も、取り巻きの連中に吹き込まれたものであって、すぐメッキがはがれるようなものだと感じました。

今朝の朝日新聞の社説は、安倍首相の歴史に向き合う姿勢について論評しています。

安倍首相へ 歴史を語ることの意味」

昨日の衆院予算委員会のビデオは、下記でご覧になれます。「国会中継」をご覧になれなかった方は、ぜひご覧ください。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=31670&media_type

遊就館 “未熟な”反米史観を修正へ

昨日の衆院予算委員会で、民主党の管直人氏が安倍首相の歴史認識を糺しました。その中で靖国神社の遊就館が、「日米開戦はルーズベルトの謀略」とする展示をしているのをどう思うかの質問に対し、首相は「政治家は歴史に対し謙虚でなければならない」といったお得意の?せりふで逃げていました。

このいわゆる「靖国史観」に基づく展示は、アメリカ側からの批判も多く、日米関係を最重要視する安倍内閣のアキレス腱ともなりかねないと、靖国参拝支持派の間からも危惧されています。そこで、このほど靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会も、「遊就館」の展示のうち、米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めたとのことです。

靖国神社遊就館:米が批判の記述修正 アジア関連は変えず」(毎日、6日)

安倍首相の歴史認識は甘い(立花隆氏講演)


去る9月27日外国特派員協会で、立花隆氏が「安倍首相の歴史認識は
甘い」というテーマで講演した録画が、下記でご覧になれます。

http://www.videonews.com/press-club/0607/000898.php

立花氏の安倍晋三首相および安倍内閣の性格について語った要旨は次
のとおりです。

・安倍晋三はなかなかの人物。
・日本の政治家としては、本格的なナショナリストといえる。
・よく“戦前回帰派”といわれるが、そこまではいかない。しかし
取り巻きの連中にはそういうのがずいぶん多い。
・ 極端に右翼的ではないので、そちらへ突き進むことはないだろう。
しかし戦前でも、当初はだれもまさか太平洋戦争にまで突き進むこ
とはなかろうと思っていたのが、勢いでそこまで突き進んでしまっ
たので、今後何が起こるか分らない。
・安倍内閣を戦前の近衛内閣に比べる人もいるが、まだ近衛ほどの役
割を果たす力はないと思う。しかし30年後振り返った時、「あの時
が転機だった」といわれるようなことになる可能性はある。

安倍首相『河野談話』を政府として踏襲

安倍首相は昨日、共産党の志位委員長の代表質問に対し、平成5年
8月に河野洋平官房長官(当時)が出した慰安婦に関する談話を政府
が踏襲していることを示しました。

このいわゆる「河野談話」は、従軍慰安婦について「旧日本軍が直接
あるいは間接に関与した」ことを認め、謝罪したものです。

〔no_more_war:14652]でご紹介しましたように、安倍氏の保守ブレー
ンはこの「河野談話」を修正すべきと何度も進言していたとのことで
すが、中韓との首脳会議を何としても実現させるために、この進言を
斥ける形になりました。

安倍首相「河野談話」を政府として踏襲(産経、4日)
< 自民党参院幹部は「初めから独自色を出せと言うのは無理だ」と
首相を弁護する。一連の答弁の背景には、首脳会談を控えた中国、韓
国への配慮や政権発足直後から無用の混乱を引き起こしたくないとの
思いがありそうだが、「保守層の支持を失いかねない」(閣僚経験者)
危うさもはらんでいる。>

なお上記記事は「Yahoo!ニュース」のサイトに掲載されたもの
ですが、なぜか「Sankei Web」には掲載されていません。

米公文書に「軍命」 慶良間・集団自決

沖縄戦時の慶良間諸島で起きた「集団自決」は、軍の命令であったかどうかについて、訴訟まで起こっていますが、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までに分かったと、沖縄タイムスが伝えています。

「米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言」

「日の丸将軍」から「赤い将軍」へ

昨日ご紹介しました「天皇陛下と大福餅」の中で、著者の秋葉洋氏は、当時の航空士官学校校長だった遠藤三郎氏について次のように書いています。

<その人の名は遠藤三郎元陸軍中将、南方派遣空軍司令官、晒木綿に自らの血で日の丸」を描き軍帽の下に鉢巻きをして「日の丸将軍」の異名を博した勇猛な将軍である。>

< 遠藤氏は昭和五十九年亡くなる直前に回顧録を出版しているが、その中で戦時中陸軍中枢部の戦争指導方針を痛烈に批判し、無謀な戦争を強行し続けた責任を厳しく追及している。そして航空土官学校長時代の思い出として「天皇は神でなく人間だと発言した学生がいて問題となり、その処理に苦慮した」とたった数行の文章だが書き残している。勿論対面した事も対話した事もない私の名前は載っていないが遠藤氏にとって忘れられない事件の一つだったのだろう。

  遠藤校長は戦後になって変身したのでなく、校長職に在った昭和十八年頃には既に批判的考えをもち、とくに天皇神格の思想動員に反対の立場にあったから、私を「無罪」としたのである。>

Nさんは「戦時中の陸軍の学校にも、天皇や戦争に疑問をもつ人がいたんですね」と書かれましたが、陸士の生徒だけでなく、校長までもそうだったようです。「天皇は生き神様」という、子供だまし、いやわれわれ当時の子供でも疑問を持つような非科学的な考えは、軍人を含め、本音では信じていた人はいなかったと思います。

遠藤氏は、戦後日中友好に尽力し、、「元軍人訪中団」を率いて、5回にわたる訪中を行い、毛沢東首席や周恩来総理と会談、今度は「赤い将軍」という異名を受けました。「『護憲大会』――遠藤三郎賞のルーツ」というサイトに、遠藤氏の戦前から戦後への思想の遍歴を詳しく紹介していますので、以下引用します。

< 遠藤さんは異色の陸軍軍人でした。陸幼・陸士・陸大を抜群の成績で通過したこのエリート将校は、満州事変にはじまる日中戦争のおおくの期間、軍刀を下げて中国にいました。彼もまた「坂の上の雲」を見上げる典型的な明治人でしたが、政治的な軍人ではありませんでした。「日ソ衝突は将来避け難しとの主観的判断を基礎として一撃を与えんとするが如きは皇国の武士道、大和民族の正義心が許さざる所」と日記に書き(1932年7月17日)、また陸大兵学教時代に「日清戦争で遼東半島や台湾の領土割譲を迫ったのは誤り、と講義して物議を起こした」(自著『日中十五年戦争と私』)ような思考と姿勢をつねに持していました。第三飛行団長時代、抗戦首都・重慶に対する無差別爆撃の軍事作戦を批判し、「重慶爆撃無用論」を参謀本部に具申しています。ふつうの軍人にはとてもなし得ぬ硬骨漢ぶりです。

 何が、遠藤さんの人格をつくったのでしょうか。大尉のときフランス陸軍大学に二年間留学した
体験が原点でしょう。そこでクーデンホーフ・カレルギーの「世界連邦思想」に出会うのです。日本
人を母にもつ政治学者カレルギーの「汎欧州主義」──今日EUとなって実現している──が第一次大戦後の荒廃した光景と重なって遠藤さんの心にしみこみました。ベルダン戦場の視察旅行からは現代戦の惨状がなお生々しくつたわり、若い大尉を慄然とさせました。帰国船上の日記
(1929年11月29日)に「軍備縮小の必要なるを感ず。軍備縮小は理想なり。吾人はこれに向かい努力せざるべからず」と記しています。陸軍省に「汎欧州主義」の概要報告を行い研究の進言をしたが「全く反響はありませんでした」(自著)。

 52歳、陸軍中将で敗戦を迎えた遠藤さんは、「軍隊はなくともいい」と声明を出します。旧知の東久邇首相に面談して「軍隊のなくなることは日本の黎明であり慶ぶべきことである」と訴えました。翌年、日本国憲法が制定され「私の悲願が明文化された」のをみつつ、遠藤さんは軍刀を鍬に持ちかえ開拓農民となり埼玉県入間の旧航空士官学校跡地で家族とともに農業生活にはいりました。「貧乏生活にも楽しい日々」と、そのころの暮らしをつづっています。

 しかし、朝鮮戦争を機に警察予備隊が創設され再軍備への動きがあらわになると、遠藤さんは
居ても立ってもいられなくなってきました。主張に共鳴する人たちや団体からの執筆、講演依頼も舞い込むようになりました。鍬をおいて全国行脚するうち片山哲氏や有田八郎氏と語り合い、ともに「憲法擁護国民連合」の結成(1954年)に参画、理事、代表委員に就任しました。その発会式でのあいさつで、こう述べました。「今後日本の国防は、あるかないか分かりもしない外国軍隊の侵略に対し、軍隊をもって国を守るのではなく、必然的に来る台風や地震、その他の災害に対し国民の安全を守ることを第一に考えるべきである」。いまでも、いや、今だからこそより切実に聞こえる一節ではないでしょうか。片山代表委員が「本式の平和主義者だ。あれでよく軍人が勤まった」と書いていますが、まったくそのとおりでした。

 遠藤さんの信念は旧軍人や右翼による迫害の的となり、陸士同期生会から除名されましたが、動じることはありませんでした。軍備不要の環境を「日中不戦」によって現実化するため、55年から72年にかけ5回にわたる訪中を行い毛沢東首席や周恩来総理と会談しました。毛首席に「左翼だけでなく右翼も」といわれ遠藤さんは、「元軍人訪中団」を組織し、それはやがて「日中友好元軍人の会」へと発展しました。会則第1条は「過去の戦争に対する反省に立脚し、戦争準備の動きを防止し、平和と日中友好に貢献」とさだめています。82年護憲連合議長となり84年亡くなりますが、遠藤さんの精神はいまも新しい。

 本稿執筆にあたって、遠藤三郎著『日中一五年戦争と私 国賊・赤の将軍と人はいう』(日中書林1974年)および宮武剛著『将軍の遺言 遠藤三郎日記』(毎日新聞社1986年)を参照しました。>

http://www.peace-forum.com/news2005/aug.html

国会代表質問おける「歴史認識」(各紙社説)

安倍内閣の最初の外交課題である中韓との首脳会談ですが、どうやらこれはかねて予
想された「落としどころ」を前提に取りあえず開催されるようです。それを意識したのか、
昨日の衆議院の代表質問では、首相は相変わらず歴史認識や靖国参拝については
逃げの答弁に終始しました。それに対する今朝の各紙の社説をご紹介します


「歴史認識 もう一歩踏み出しては」(朝日)
< 隣国の信頼を得るには、首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要がある。
安倍氏には歴史から目をそむけず、謙虚で率直な発言を求めたい。 >
http://www.asahi.com/paper/editorial.html


「代表質問 首相は論点をはぐらかすな」(毎日)
< 日中、日韓首脳会談が近く再開される見通しとなっている。首相のあいまいな態度で、
中国、韓国との真の相互理解が進むのか、懸念せざるを得ない。関係改善に成算がある
のかもしれないが、長期的に安定した関係を築くには明確な歴史認識が必要だろう。>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061003k0000m070144000c.html


「まずは無難だった首相の歴史認識答弁」(日本経済)
< 極東国際軍事裁判(東京裁判)に関しては「裁判を受諾しており、国と国との関係におい
て異議を述べる立場にない」と表明した。A級戦犯の責任については「政府として具体的に断
定することは適当ではない」と述べた。安倍首相の歴史認識を懸念する声が出ているが、全
般に無難な答弁であり、今後も無用な警戒感を招かないように心がけてもらいたい。今回の
無難な歴史認識の答弁を、中国や韓国との関係改善につなげていく不断の努力が必要だ。>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20061002MS3M0200102102006.htm


「lこんな論戦では困る」(中日)
< 歴史認識では「戦後の日本は国内外に大きな被害を与えた率直な反省の上に立って、自由
と民主主義、基本的人権を守り、国際平和にも貢献し、高度成長も成し遂げた。こうしてつくり上
げた国のかたちに堂々と胸を張るべきだ」と述べた。戦前、戦中も聞きたい。>


「首相は逃げていないか」(北海道)
< 一方、歴史認識問題では「政治家は歴史を語ることに謙虚であるべきだ」とし、A級戦犯の
責任問題も「政府として具体的に断定することは適当ではない」と述べ、言及を避けるばかりだ
った。
 だから「美しい国も、あなた好みの国家主義、権威主義が幅を利かせ、政治が生活から遠ざ
かる国であることが、あなたの発言に見え隠れする」という鳩山氏の批判に、説得力を持たせ
る結果となったのではないか。>
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0032


「これでは論戦は深まらぬ 代表質問」(西日本)
< 首相の「あいまいさ」が極まったのは、靖国問題やA級戦犯問題だ。
 先の戦争に関して首相は、侵略に言及した1995年の村山富市首相の談話を尊重する考え
を表明したものの、A級戦犯の責任については「さまざまな論議があり、政府が断定するのは
適当ではない」として、見解の表明を避けた。
 靖国神社を参拝するかどうかについても、明言しない態度を貫いた。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/

天皇陛下と大福餅

「天皇陛下と大福餅」という変わった書名の本があります。著者は秋葉洋氏という、幼年学校から航空士官学校を卒業した、生粋の職業軍人です。

彼は士官学校時代、「天皇陛下は”現人神”といわれるが、やはり人間ではないのか?」と発言し、謹慎を命じられました。普通こういう場合は、「思想要注意」として、卒業後も危険な部隊に配属されるのですが、「日の丸将軍」という勇猛なの異名を博した遠藤三郎校長が「思想犯」というレッテルを貼らなかったので、比較的な安全な通信部隊に配属され、戦友の5割が戦死する中で、無事復員できたそうです。

ちょうどこのエピソードの部分が、次のサイトに掲載されていますので、ぜひお読みください。

「天皇陛下と大福餅」


安倍政権船出 歴史認識 あいまいさに逃げ込むな

日中、日韓の首脳会議が、どうやら実現しそうな状況ですが、やはりそこで問題になるのは、安倍首相のあいまいな歴史認識でしょう。今朝の毎日新聞の社説は、首相のこの歴史認識を強く追及しています。

<(前略) だが、戦争体験がないから過去の戦争について歴史認識を問われない、ということにはならない。

 自民党総裁選では村山談話や侵略戦争の認識が焦点になった。安倍首相は「(歴史認識は)後世の歴史家に委ねる」と言い、正面から答えなかった。

 この言い方はいささかピントが外れている。歴史家に委ねるのは、政治家の歴史認識が正しかったかどうかの判断であって、政治家は歴史認識を他人に委ねることなどできない。

 歴史認識とは、歴史の講釈をすることではない。首相は、国の命運を背負い、最終決断を下さねばならない立場にいる。「神に祈る気持ちだ」とつぶやいた首相もいた。常に人間観、世界観、歴史観が問われる職なのだ。>

< 安倍首相は訪中、訪韓を急いでいる。両国との信頼関係を築くことが重要だ。首相は、中国が対日戦争賠償を放棄したさいに「一握りの軍国主義者」と「戦争に動員された国民」を区別した問題について、「そんな文書はない」と突き放したことがある。文書がなければ約束はないのなら、

中国は「参拝しない」という文書を求めるだろう。外交は柔軟であるべきだ。

 首相が日中関係を再構築するつもりなら、以前の状態に戻って、在任中の靖国参拝は凍結すべきだ。靖国神社に行くつもりなら、はっきり言うべきだ。今の日中関係は、過去に積み重ねた外交努力の上にある。あいまい戦略の先には、逃げ道はない。>

中韓との首脳会談は、靖国参拝をどうやら肯定も否定もしない「NCND」戦術で望むようですが、はたしてこれが「主張する外交」でしょうか?

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061002ddm005070170000c.html

戦争の悲惨刻み付けた少年時代(冬柴鉄三)

この度国土交通相として安倍内閣に入閣した冬柴鉄三氏は、9歳の時
北朝鮮で終戦を迎え、一家4人で死ぬ思いで引き揚げてきましたが、
その途中衰弱により母を亡くすという戦争体験を持っています。


その体験から、彼は公明新聞のインタービュー記事で次のように答え
ています。


<「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」。その
念を命の奥底に刻み付けての少年時代だった。今も、その強き思いは、
些(いささ)かも変わらない。


今年もまた、8月15日が巡って来た。私は、私たちの子や孫たちが
再び、このような悲しい体験をすることのないことを祈り、私一人で
あっても「平和を守り抜く先兵とならん」との思いを深くするのであ
る。


戦後60年余。日本は自国の平和のみならず、世界平和に頁献しゆく国
へと発展した。その最前線で行動する人たちの姿を見る時、私は、その
頼もしさに感謝するとともに「不戦平和」への誓いを新たにしている。>


http://fuyusiba.net/pc/interview/20060816.html


冬柴氏は幹事長時代、自公連立の要として、小泉内閣のイラク派兵を
容認し、首相の靖国参拝を黙認してきました。


今回の入閣に当たっては、首相、官房長官、外相の靖国参拝に反対し
ています。今度こそ、「平和を守り抜く先兵とならん」の気概を持っ
て、進退をかけてでも、新内閣の右傾化に歯止めをかけてもらいたい
ものです。

日本の戦争―領土拡張主義の歴史(不破哲三)

安倍内閣の発足に伴い、首相の「あいまいな」歴史認識が問題になっています。「戦争を語り継ごうML」でも日本の過去の戦争が「侵略戦争」かどうかが話題になっています。


「しんぶん赤旗」では、9月13日から25日まで、5回にわたって、このテーマに関する日本共産党前議長の不破哲三氏のインタービュー記事を連載しました。


日清・日露戦争に引き続く、いわゆる15年戦争が、いかに「侵略戦争」であったかを、当時の政府・軍部の公式記録を元に、たいへん分りやすく説明されていますので、ご一読をお勧めします。


以下、第1回~第5回の記事のURLです。


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-13/2006091325_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-17/2006091725_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-20/2006092025_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-24/2006092426_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-25/2006092526_01_0.html

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しました。ぜひお訪ねください。

福岡ホニアラ会
ガタルカナル作戦に従軍した歩兵124連隊遺族会のサイト。ガタルカ
ナル戦の体験記がある

戦中・戦後をかえりみて - 侵略戦争正当化脱却のために-
小学6年生の時の満州事変から、1942年応召して中国戦線で戦うまで
の体験と思想形成、そしてその反省を綴る

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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