一般国民の戦争責任
MLでまた「あの時の戦争では一般国民には戦争責任があったのだろ
うか」という問題が提起されました。誰に責任があるかという問題は、
確かに難しいですね。ヒトラーやムッソリーニに罪をかぶせることの
できる、独伊と違って、日本の場合は責任の所在が曖昧です。
開戦前、戦争を望む世論があったことは事実ですが、私の両親のよう
に、多くの庶民は声なき声で、戦争はいやだと思っていたと思います。
昭和天皇すらすら、対中国はともかく、米英との開戦には反対だった
といわれているではありませんか。
それなのに戦争ムードに乗せられて、ずるずると戦争に引きずられて
いった、無責任体制こそ問題でしょう。その意味で、それを許した当
時の国民一人一人にも責任があるといわざるを得ないと思います。
卑近な例で、第二の敗戦ともいわれるバブルの崩壊の場合はどうでし
ょう? 政治家、官僚、金融機関等の責任が問われていますが、ブー
ムに乗って、株を買い、土地を買いあさったのは、誰だったでしょう。
一億総不動産屋と揶揄されても仕方のないような状況ではなかったで
しょうか?
私は開戦のとき国民学校2年生で、「やった!」とばかり戦争を歓迎
しました。何も分からない子どもでしたが、その私にも、当時の国
民の端くれとして戦争責任があると思っています。そしてその思い
が、「戦争を語り継ごう-リンク集-」を立ち上げさせ、このML
を始めさせたのです。
そういう意味で、当時の国民はすべて、もう二度とあのような戦争
を繰りかえさせないという責任を負っていると思います。「よく戦
った」といわれている元将兵の皆さんも、そういう思いからわれわ
れのMLに参加していただいていると思っています。
こういう考えに到ったのは、吉田裕著 「昭和天皇の終戦史」(19
92年、岩波新書)を読んだのがきっかけです。戦争に反対して投獄
された共産党員にさえも戦争責任を問うという、1954年生まれのこ
の筆者の問いかけは、胸にぐさりと来るものがありました。
以下、この本の結びの部分を引用します。長文ですから、興味のある
方のみお読みいただければ幸いです。
うか」という問題が提起されました。誰に責任があるかという問題は、
確かに難しいですね。ヒトラーやムッソリーニに罪をかぶせることの
できる、独伊と違って、日本の場合は責任の所在が曖昧です。
開戦前、戦争を望む世論があったことは事実ですが、私の両親のよう
に、多くの庶民は声なき声で、戦争はいやだと思っていたと思います。
昭和天皇すらすら、対中国はともかく、米英との開戦には反対だった
といわれているではありませんか。
それなのに戦争ムードに乗せられて、ずるずると戦争に引きずられて
いった、無責任体制こそ問題でしょう。その意味で、それを許した当
時の国民一人一人にも責任があるといわざるを得ないと思います。
卑近な例で、第二の敗戦ともいわれるバブルの崩壊の場合はどうでし
ょう? 政治家、官僚、金融機関等の責任が問われていますが、ブー
ムに乗って、株を買い、土地を買いあさったのは、誰だったでしょう。
一億総不動産屋と揶揄されても仕方のないような状況ではなかったで
しょうか?
私は開戦のとき国民学校2年生で、「やった!」とばかり戦争を歓迎
しました。何も分からない子どもでしたが、その私にも、当時の国
民の端くれとして戦争責任があると思っています。そしてその思い
が、「戦争を語り継ごう-リンク集-」を立ち上げさせ、このML
を始めさせたのです。
そういう意味で、当時の国民はすべて、もう二度とあのような戦争
を繰りかえさせないという責任を負っていると思います。「よく戦
った」といわれている元将兵の皆さんも、そういう思いからわれわ
れのMLに参加していただいていると思っています。
こういう考えに到ったのは、吉田裕著 「昭和天皇の終戦史」(19
92年、岩波新書)を読んだのがきっかけです。戦争に反対して投獄
された共産党員にさえも戦争責任を問うという、1954年生まれのこ
の筆者の問いかけは、胸にぐさりと来るものがありました。
以下、この本の結びの部分を引用します。長文ですから、興味のある
方のみお読みいただければ幸いです。
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