スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「むすんでひらいて」と軍歌

他のMLで、旧満州の新京(現長春)にいた子どものころ、童謡の
「むすんでひらいて」と同じ節で、次のような軍歌を歌った覚えがあ
るという投稿がありました。

見渡せば 寄せて来(きた)る
敵の大軍 面白や
スハヤ戦闘(たたかい) 始まるぞ
イデヤ人々 攻め崩せ
弾丸込めて 撃ち倒せ
敵の大軍 撃ち崩せ

ネットで調べてみますと、これは日清戦争から日露戦争にかけて作ら
れた軍歌の一つ「戦闘歌」で、作詞は当時の東京音楽学校教授の鳥居
忱とのことです。そしておなじみのこの曲を作曲したのは、あの「社
会契約論」を書いたジャン・ジャック・ルソーだと知って驚きました。

ルソーのこの曲は、世界各国でいろいろな歌詞で歌われたそうですが、
日本でもまったく対照的な歌詞で歌われていたようです。

「むすんでひらいて」は子どものころから、孫をあやすころまで歌っ
てきましたが、この「戦闘歌」は知りませんでした。どなたか歌った
憶えのある方はおられますか?
スポンサーサイト

埼玉県・上田知事、従軍慰安婦の存在を否定

今日の毎日新聞埼玉版によりますと、埼玉県の上田清司知事が県議会
の一般質問に答えて、「古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はい
ない」、「兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の
業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れていったり
するわけは絶対にない」と答弁しました。

上田知事:『従軍慰安婦いない』発言、在日団体など抗議声明

政府は、93年に河野洋平官房長官(当時)が次のような談話を発表し
ています。

< 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設
置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当
時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理
及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに
関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主とし
てこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの
意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これ
に加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所におけ
る生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。>
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

「戦災孤児の父」元米軍軍曹死去

戦争直後、戦災孤児らの救済のために作られた大阪の児童養護施設
「聖家族の家」を、大阪に進駐していた頃からずっと支援してきた、
元米軍軍曹のヒュー・オライリーさんが、今月24日自宅のあるハワイ
で亡くなったと、今日の朝日新聞大阪本社版夕刊が伝えています。

「『戦災孤児の父』元米軍軍曹逝く 大阪の施設を長年支援

沖縄戦の米兵の8%が精神患う

今朝の沖縄タイムスは次のように伝えています。

< 沖縄戦時に上陸した米兵約十八万人のうち、7・8%にあたる一
万四千七十七人が戦闘中何らかの原因で精神を患っていたことが二十
六日までに、米国立公文書館に保管されていた文書で分かった。琉球
大学の保坂廣志教授(マスコミ学)が発見した。サイパン戦で精神が
衰弱したまま沖縄に転戦し、日本人女性を日本兵と誤って射殺した米
海兵隊員のカルテも見つかった。保坂教授によると、沖縄戦に参加し
た米兵の患者数はこれまで確認されていない。「第二次大戦における
他地域の発症率は5%前後。沖縄戦が最も高い」とし、凄惨な戦いが
あらためて裏付けられた。>

以下詳しくは、

上陸米兵8% 精神患う/沖縄戦二次大戦で最大値


戦前責任

たまたま「ペガサス ホームページ」というサイトを訪ねましたら、
リンク欄に、「若者には戦争責任はない.しかし“戦前責任”があ
る」というのが目に付きました。ちょうどMLでも「一般国民の戦
争責任」が話題になったところですので、ご紹介したいと思います。

これは長崎大学の高橋眞司教授が書かれたものですが、高橋さんは
1942年旧満州生まれ、胡蘆島を経て引き揚げてこられた方です。

< ところで、私は昨年夏の長崎原爆忌のラジオ放送(1)で、戦前
責任という言葉を使って、若い世代の戦争に対する責任を指摘した。
そして長崎の諸大学で出会う学生たちに、君たちにも戦争責任はある、
と言ってきた。

私の言う意味はこうだ。今、二十歳前後の君たちには先の戦争に関
する戦争責任、そして戦後責任はないと言えるであろう。だが、次の
新しい戦争の準備を着々と進めさせない、さらに、新たな戦争を引き
起こさせない、という戦前責任はある、というのである。>

戦前責任

炎える母

戦争で亡くなった人々への鎮魂詩で知られる詩人・評論家の宗左近
さんが去る19日に亡くなりましたが、今朝の朝日新聞のコラム「天声
人語」は、宗さんを偲んでいます。

< 母の手が離れた??。昭和20年5月、米軍の東京空襲の猛火の中
で、青年は手をつないで逃げていた母を見失う。生と死が分かれた。
その責めを負い続けて長編詩「炎える母」を著した詩人・宗左近さん
が、87歳で亡くなった。

 「いない/母がいない/走っている走っていた走っている/母がい
ない」。母や戦死した友を詠んだ詩は、戦火で奪われた幾多の命への
鎮魂でもあった。>

http://www.asahi.com/paper/column.html

満州引き揚げから60周年の記念式典

敗戦により旧満州(現中国東北部)に残された日本人約105万人の
本国引き揚げ事業開始から60周年を記念する式典が25日、帰還船
が出航した葫蘆(ころ)島市で開かれました。

中国:満州引き揚げから60周年 葫蘆島で記念式典」(毎日、
26日)

この式典で、中国側代表の唐家セン国務委員がおこなった演説を、
今日の中国・人民網が伝えています。

中日は平和発展・アジア振興・人類進歩のパートナーに

歴史認識に関する国会議員のアンケート

今日の毎日新聞は、全国会議員を対象にした歴史認識などに関するア
ンケートの結果を発表しています。

●極東国際軍事裁判(東京裁判)
「不当な裁判だが敗戦のために受け入れざるを得なかった」61%
「戦争責任者を裁いた正当な裁判だ」13%
「戦勝国が一方的に裁いた不当な裁判だ」8%

●対米開戦
「無謀な選択」67%
「やむを得ない選択だった」18%

●対中戦争で侵略的行為が行われたかどうか
「行われたと思う」68%
「どちらとも言えない」が19%
「行われたと思わない」が3%、

●第二次大戦をめぐる日本政府の謝罪、反省
「十分」51%、「不十分」33%

●首相が靖国神社を参拝することに
「反対」55%、「賛成」26%

●戦後日本の「軽武装・経済重視」路線
「評価する」83%

●「軽武装・経済重視」路線を評価→「今後、どうすべきか」
「維持すべきだ」66%、「変えるべきだ」27%

●憲法9条
「改めるべきだ」50%、「改正反対」25%

●集団的自衛権の行使
「認めるべきだ」42%、「現行通り禁じるべきだ」41%

●日本外交のあり方
「対米関係を基軸にしつつ、アジアをもっと重視すべきだ」73%

●中国、韓国との関係改善
「最優先で取り組むべきだ」55%
「必要性はあるが、最優先課題ではない」33%

詳しくは、
戦後60年:「軽武装・経済重視」83%評価 議員アンケ

靖国参拝訴訟の最高裁判決に対する社説

昨日の毎日新聞の靖国参拝訴訟の最高裁判決に対する社説に続き、今
朝は朝日、産経の両紙がまったく対照的な論調の社説を掲載していま
す。また昨日の各地方紙も、朝日とほぼ同じような立場からの社説を
載せています。

靖国参拝 肩すかしの最高裁判決」(朝日、25日)
< 小泉首相は「判決は妥当だ」「哀悼の念をもって靖国神社に参拝
するのは憲法違反だとは思っていない」と述べたが、誤解しないでほ
しい。最高裁は「参拝は合憲」とお墨付きを与えたのではない>

靖国最高裁判決 首相は堂々と昇殿参拝を}(産経、25日)
< 今回の最高裁判決は、首相の靖国参拝の公私の区別には触れてい
ないが、首相就任後初の平成13年8月の参拝について判断したもの
だ。そのとき、小泉首相はモーニング姿で「内閣総理大臣」と記帳し、
昇殿参拝した。このように堂々と参拝してほしい。>

靖国最高裁判決」(神奈川、24日)

靖国参拝訴訟/原告の訴え退けられたが」(神戸、24日)

「靖国参拝訴訟 憲法判断の回避は残念」(中国、24日)

首相は慎重な政治判断を 靖国訴訟判決」(西日本、24日)

「[靖国最高裁判決]憲法判断すべきだった」(沖縄タイムス、24日)

平和の心、私たちが引き継ぎます

昨日の沖縄タイムスの記事から、

< 「平和の心、私たちが引き継ぎます」―。慰霊の日の二十三日、
糸満市摩文仁の平和祈念公園や県内各地の慰霊祭、平和を願うイベン
トなどには、戦争を知らない若い世代の姿が目立った。「体験なくて
も伝えられる」「戦争で大切な人をなくしたくない」。音楽や映像作
品などに思いを表現したり、慰霊祭に参加して体験者や遺族に寄り添
ったりと、祖父母の世代の悲惨な体験を受け止め、継承を誓った。>
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200606241300_03.html

過去の戦争にまったく無知、無関心か、戦争のことを語ると「自虐的」
と叫ぶ若者が目立つ昨今、まことに心強いものがあります。

首相靖国参拝はやはり総裁選の争点(毎日社説)

ご承知のように、昨日最高裁は小泉首相の靖国参拝について、上告を
棄却する判決を下しました。歴代首相の靖国参拝をめぐる初の最高裁
判決でしたが、やはり憲法違反かどうかの判断は回避されました。

となれば、靖国問題の解決はポスト小泉に期待するしかないと、今朝
の毎日新聞の社説は書いています。

首相靖国参拝 やはり総裁選の大争点だ

松根油(続)

先日の松根油の話に、次のようなメールをいただきました。

< 松根油は、戦時中、ショウコンユではなく、マツネユと発音され
ていました。
 私たちは、中学2年のとき、松根油の採取に動員されました。ただ
し、松の根を掘り起こしたのは上級生で、私たちの仕事は、すでに掘
り返され、積み上げられていた松の根を、運搬することでした。掘り
返していた上級生から、「こんなしんどい仕事は、あんまり、ないで
え」と、よく聞かされました。>

一昨日のインターネット新聞JANJANにも、松根油のことが書い
てありました。

<年間20万キロリットル(約13~14万トン相当)の航空ガソリ
ンを製造する大計画が立てられたものの、製造設備が空襲で破壊され
てしまった。しかしこの計画の最大の弱点は、技術面よりも、そのよ
うな大量の松の根を集められなかったという点にあった。当時の人に
は申しわけないが、現時点で評価するとマンガ的計画と言わざるをえ
ない。>

http://www.janjan.jp/living/0606/0606216420/1.php

W杯負ければサヨナラ愛国心

今朝のブラジル戦は、残念ながらやはり竹槍では勝てませんでした
ね。昨日の川柳をご覧になって、次のような川柳もいただきました。

< ☆  W杯  必勝祈願も  愛国心

 先日のテレビで、ある政治評論家が、次のように語っていました。
 「皆さん、日本チームに勝ってほしいでしょう。それが愛国心で
す。その愛国心を、教育基本法に盛り込むのが、なぜ、いけないの
ですか」。
 今晩のニュースで、超ミニスカートの女子高生が、W杯の必勝祈
願をしている様子が放映されていました。彼女たちも、愛国心教育
を受けたのでしょうか。>

そういえばネットでも、中田英俊にもイチローほどの愛国心があれ
ば、といった書き込みがあったように思います

お返しにまたお粗末な川柳もどきを一句、

W杯負ければサヨナラ愛国心

沖縄・いくさ・愛国心

今日の慰霊の日の因んで、朝日新聞沖縄版が21日から3日連続で「沖
縄・いくさ・愛国心」を連載しています。その趣旨は、

<愛国心を巡る議論が盛んだ。国を愛するとは何か。61年前、激し
い地上戦を体験した沖縄で、愛国心はどう受け止められているのか。
23日の「慰霊の日」を前に考える。>

上:指揮官の遺族
中:教育という力
下:歴史の見直し

その中で、「ひめゆり平和祈念資料館」の学芸員である普天間朝佳さ
ん(46)の話が気になりました。

< 入館者が書き残す感想文に、展示方針を「反日的」と批判する内
容がここ数年、目立つようになった。「少女たちは……兵士たちとと
もに死ぬことを願っていたのです」(27歳会社員)、「軍部が悪の
ような説明書きはよくない。ここは左翼人間の生産工場ではない」
(22歳学生)。

 「戦前の教育の怖さを伝えるのが館の理念。だが、証言者が年々減っ
ていく中、どうすればリアリティーを持った体験の継承が可能なのか」。
普天間は悩み続けている。>

昨年1月、ひめゆりの塔を訪ねたときの訪問記です。↓

http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/okinawa/senseki/himeyuri.htm

沖縄慰霊の日の社説

今日は沖縄慰霊の日ですが、この日を迎えての今朝の各紙の社説をご
紹介します。

沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす」(朝日)
< 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大
江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集
団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたこ
とを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す>

沖縄『慰霊の日』 将来像に思いはせたい」(中国)
<「慰霊の日」は追悼とともに、全国でみんなが沖縄の将来の姿に思
いをはせる日でもある。>

「『痛み』の共有を忘れるな 沖縄慰霊の日」(西日本)
< 今年の「慰霊の日」を機に沖縄の声に耳を澄ませ、あらためてこ
の国のあり方に思いをはせたい。沖縄の「痛み」を共有する努力を忘
れてはならない。>

戦争の記憶が未来を開く」(沖縄タイムス)
< 沖縄戦を忘却した場所から、沖縄の今後を構想することはできな
い。戦争の記憶を継承し、沖縄の未来を切り開いていくための原点に
したい。>

慰霊の日・体験を地道に伝えよう/米軍基地の機能強化に危ぐ
(琉球新報)
< 「戦争ができる国」に向けて歩みだしたと懸念する声は国内外で
多い。悲惨な沖縄戦の教訓を今こそ生かすべきだ。
沖縄戦や戦時体験を伝えていくことの大切さも忘れてはならない>

なお琉球新報のコラム「金口木舌」も、慶留間島で起きた「集団自決」
の生存者・與儀九英さんの話を伝えています。

http://ryukyushimpo.jp/variety/storytopic-12.html

ブラジルに圧勝するぞ竹槍で

MLで、一般国民の戦争責任について、いろいろご意見が出ていますが、

<責任はそれぞれの年齢や位置によって、違いがあると思います。
子供に責任がないのは当然です。
しかし、新体制を讃美し、平和主義者や自由主義者を非国民扱いにし
て排斥したりした国民は、やはり、責任があると思います。
無知のためだとすれば、その無知に責任があります。
それをいうのは、いま、ふたたび、あの時代に似た動きがあるからで
す。>

というご意見がありました。同感です。

今日の「朝日川柳」を見ていて、次の2句に眼が止まりました。

ブラジルに圧勝するぞ竹槍で
(選者評:撃ちてしやまん)

負けぬとは言えぬあの頃思い出す
(選者評:大本営発表)

作者のお二人は戦前生まれでしょうか? そこでお粗末ながら川柳も
どきをひとつ。

スポーツが捌け口のうちはいいけれど
(自己評:大衆の不満はファシズムの温床?)


青いサムライたちの健闘を祈っています。

戦争と経済

テポドンや中国の軍事費増大から、今にも起こるであろう戦争の脅威
を強調する論調があります。また戦争は人間の闘争本能から起こるの
で、永久に亡くならないという人もいます。

はたしてそうでしょうか? 3年前にMLに投稿した意見を再録しま
す。

---------------------------------------------------------
戦争の世紀といわれた20世紀、その前半は帝国主義国間による、資源
や市場をめぐっての植民地争奪戦の時代でした。そして先進帝国主義
国である連合国が、圧倒的に優位な武力で、後進帝国主義国である日
独伊を惨敗せしめました。

後半は、いわゆる資本主義国と社会主義国の冷戦の時代でした。武力
は強力になりすぎたゆえに抑止力にしか使えず、経済力による勝負と
なり、経済合理性に劣る社会主義国(私は必ずしも真の社会主義とは
思っていませんが)の完敗となりました。そしてアメリカは世界の覇
者となりました。

しかし冷戦の一番の勝者は、わが日本ではなかったでしょうか? 平
和憲法の下、かつての膨大な軍事費を今度は公共事業に充て、敗戦の
廃墟から高度成長により、一躍世界一、二の経済大国になりました。

かくして、かつての社会主義国はほとんど市場経済に参入することに
なり、経済のグローバル化は急速に進展しました。各国の経済は、網
の目のように、世界経済に組み込まれています。

わが国でも、大企業の多くは、東京に本社はあるものの、工場は世界
各国に、そして従業員もいろいろな人種からなっています。私たちの
衣食住も、世界各国からの輸入品で支えられています。

こういう状況下で、もし世界的な規模の戦争が起こったとしたら、ど
うでしょう? 各国の経済は麻痺し、共倒れになるだけではないでし
ょうか? 最近のSARS騒ぎでも、各国の経済に大きな打撃を与え
ていますが、それとは比較にならないでしょう。

今や国境を越えて、人、物、金が自由に行き来する経済のグローバル
化が、戦争の大きな抑止力になりつつあるといっても過言ではありま
せん。経済の垣根を取っ払って、通貨も統合したEUがそのいい例で
す。かつて何世紀にもわたって戦争を繰り返し、2度も世界大戦の火
種となった、ヨーロッパ各国は、その反省の上に一つにまとまりまし
た。

日本の歴史を見ても、かつて経済単位が分かれていた時代は、主とし
て経済的な利害から、内戦が絶えませんでした。戦国時代の人々にと
っては、戦争は人間の宿命と感じられたでしょう。しかし明治維新に
より、経済の“ナショナル化”が達成され、新潟県と山梨県が川中島
で戦うなどは、もはや考えられなくなりました。今や同様なことが、
地球的規模で起こりつつあるいえるでしょう。

アジアでも、平和と安定を図るためには、お互いに核兵器を持ち合う
のでなく、将来的には、経済共同体を志向すべきと思います。もちろ
んそれは、かつての隷属関係的な”大東亜共栄圏”でなく、共生関係
的なものでなければなりません。

今回のイラク問題でアメリカが武力に頼ったのは、経済力が落ちてき
た表れだとする説もあります。経済力でなく、武力でアメリカのユニ
ラテラリズム(単独主導主義)を世界に押し付けようとするネオコン
の思想は、20世紀型の考え方といえましょう。「古臭い欧州」とこき
下ろした人がいましたが、どちらが古臭いでしょうか?

かつては経済のために戦争が起こりました。21世紀の今は、経済が戦
争の足を引っ張る時代になりつつあるように思われます。  

一般国民の戦争責任

MLでまた「あの時の戦争では一般国民には戦争責任があったのだろ
うか」という問題が提起されました。誰に責任があるかという問題は、
確かに難しいですね。ヒトラーやムッソリーニに罪をかぶせることの
できる、独伊と違って、日本の場合は責任の所在が曖昧です。

開戦前、戦争を望む世論があったことは事実ですが、私の両親のよう
に、多くの庶民は声なき声で、戦争はいやだと思っていたと思います。
昭和天皇すらすら、対中国はともかく、米英との開戦には反対だった
といわれているではありませんか。

それなのに戦争ムードに乗せられて、ずるずると戦争に引きずられて
いった、無責任体制こそ問題でしょう。その意味で、それを許した当
時の国民一人一人にも責任があるといわざるを得ないと思います。

卑近な例で、第二の敗戦ともいわれるバブルの崩壊の場合はどうでし
ょう? 政治家、官僚、金融機関等の責任が問われていますが、ブー
ムに乗って、株を買い、土地を買いあさったのは、誰だったでしょう。
一億総不動産屋と揶揄されても仕方のないような状況ではなかったで
しょうか?

私は開戦のとき国民学校2年生で、「やった!」とばかり戦争を歓迎
しました。何も分からない子どもでしたが、その私にも、当時の国
民の端くれとして戦争責任があると思っています。そしてその思い
が、「戦争を語り継ごう-リンク集-」を立ち上げさせ、このML
を始めさせたのです。

そういう意味で、当時の国民はすべて、もう二度とあのような戦争
を繰りかえさせないという責任を負っていると思います。「よく戦
った」といわれている元将兵の皆さんも、そういう思いからわれわ
れのMLに参加していただいていると思っています。

こういう考えに到ったのは、吉田裕著 「昭和天皇の終戦史」(19
92年、岩波新書)を読んだのがきっかけです。戦争に反対して投獄
された共産党員にさえも戦争責任を問うという、1954年生まれのこ
の筆者の問いかけは、胸にぐさりと来るものがありました。

以下、この本の結びの部分を引用します。長文ですから、興味のある
方のみお読みいただければ幸いです。

全文を表示 »

炭焼き

松根油のことを書きましたら、同じ歳のSさんから、6年生のときに
松の根っこ掘りをやらされたというメールをいただきました。数人で、
一日がかりで松の大木の根をひとつ掘り起こして終わりだったそうで
す。

私の場合は、松根掘りはやりませんでしたが、その代わり炭焼きの手
伝いをやらされました。原料になる木を切って、それを窯まで運ぶの
ですが、高い木が倒れる時の恐ろしさ、担いで山を下る時の重さが思
い出されます。

農村育ちの土地っ子たちにとっては、教室の勉強よりは楽しい作業だ
ったかもしれませんが、都会育ちの疎開っ子は、もっと勉強がしたい
といつも思っていました。

少し年長の、当時国民学校高等科(今の中学校)の生徒だったWさん
も、やはり炭焼きの原木伐採をやらされていたそうです。できた炭は
軍需工場に供出されていたとか。

木炭などの民需品の生産に小学生までなぜかりだされたのか不思議に
思っていましたが、木炭は軍需用の立派な代替燃料だったのですね。
そういえば自動車もガソリンの代わりに木炭で走っていました。

幻の国策映画発見、DVD化

戦前から戦中にかけて、戦意高揚を目的に製作された「国策映画」が
大量に見つかり、所在不明になっていた5本の「幻のフィルム」を含
む11本が明日DVDで公開されることになったそうです。

幻の国策映画、大量発見 日本語字幕付き松岡洋右演説などDVD
」(産経、17日)

上記サイトでは、「続 戦時下のスクリーン」のダイジェスト版およ
び国際連盟を脱退したときの松岡洋右の演説・退場シーンのビデオ
(WMV)が見られます。こういうビデオを見ますと、軍国少年時代
の血が騒ぎ出す思いがしますが、最近の若者でも、感激する向きがい
るようですね。

松根油

今朝の読売新聞のコラム「編集手帳」は“松根油”にかかわる昭和天
皇のエピソードを紹介しています。もっとも松根油といってもご存じ
ない方も多いかもしれません。「しょうこんゆ」とキーを打っても漢
字変換されません。

<松根油は松の根から採取した燃料のこと。エネルギー資源を断たれ
た日本は戦争末期、「200本の松で航空機が1時間飛べる」との号
令の下、日本中で松の根を掘り起こした。エネルギー戦略を誤って国
を傾かせた戦前日本の象徴でもある。>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060618ig15.htm

しかし実際には航空燃料として使用するには問題があったようです。
昨年、NHKテレビで毎日連続で放映されました特集番組「あの日 昭
和20年の記憶」で、戦時中陸軍の飛行教官だった、アメリカ史学者の
猿谷要さんが、松根油を混ぜたガソリンでテスト飛行中、エンストを
起こし不時着した経験を語っていました。

あの日 昭和20年の記憶 7月編

私は小学生だったので、松の根掘りをやった経験はありませんが、皆
さんの中にはご経験のある方もおられることでしょう。

『国家』が重くなる

< 小泉政権として最後であろう通常国会が閉幕です。五年余の「小
泉改革」は「影」も色濃く残しました。それに、何か重苦しい雰囲気
も感じられてなりません。

 「庶民にとって支配構造の重さは、江戸期が重く、明治期がいっそう
重く、昭和の軍閥の専制期はさらに重かった。その重いぶんだけが『国
家』というものであった」(「歴史を動かすもの」)

 司馬遼太郎さんの一九七〇年ごろのエッセーです。そして「戦後、国
家が軽くなった」といいます。>

という書き出しで、今朝の東京新聞の社説は、小泉政権の5年間で
「国家」はまた重たくなってきたと書いています。

週のはじめに考える 『国家』が重くなる

戦前・戦中は国家の上にさらに「天皇」という重しが乗っていて、さ
らに重く感じられました。天皇のため、お国のためならば、個人の命
は鴻毛(こうもう、鳥の羽毛)より軽いといわれました。

戦後は天皇も「天チャン」とか「天公」などと呼ばれて、ずいぶん軽
くなりましたが、最近はまた国会で「天皇陛下に敬語を使わない新聞
はけしからん」などという論議が聞かれるようになりました。これも
「小泉改革」の成果でしょうか?

迷彩ファッション

流行の迷彩ファッションについて、高齢の女性から批判がありました。
私も違和感があります。着ている連中は何も考えていないのでしょう
が…。最近は子供服にまで及んでいるようです。

http://www.h2.dion.ne.jp/~airgun/page101.html

これを見て思い出しましたが、子どものころは軍服姿に憧れたもので
した。私には覚えがありませんが、当時の七五三の定番の服装は、男
の子は軍服、女の子は看護婦さん姿だったようです。次のサイトに、
勇ましいチビッコ軍人の写真があります。

http://www.kuc-jp.com/fppp/index2.html

七五三に迷彩ルックが登場なんてことにならないよう、祈るばかりで
す。

Re:"judgments" の訳語は「裁判」で問題なし

お二人の方からから、「判決は受け入れたが裁判は認めていない」と
いう論法はやはりおかしいというご意見をいただきました。

この質問を内閣に提出しました民主党の野田よしひこ衆議院議員のサ
イトに、この件に関する質問書および答弁書の全文がアップされてい
ますので、ご紹介します。

「サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに「A級戦犯」へ
の追悼行為に関する質問主意書」及びそれに対する6月16日答弁書


どうもお役所用語や法律用語に弱いので、よく解りかねますが、「平
和条約の正本は、英、仏、西の三カ国語のみであり、日本語訳は効果
をもつものではない」という“判決”論者の主張に対し、1952年4月
28日の内閣告示1(下記URL)には第11条に「裁判」と明記されて
おり、かつ「署名」の項には、「千九百五十一年九月八日にサン・フ
ランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン
語により、並びに日本語により作成した」と書かれていますので、こ
のように官報に記載された内容が国内的には正しいということのよう
に思えます。

日本国との平和条約

国立追悼施設を考える会の提言(続)

このほどまとまりました超党派議連「国立追悼施設を考える会」の提
言について、先にご紹介のとおり昨日の「産経抄」が「他国に迎合す
るもの」として批判しましたが、今朝の朝日新聞の社説は次のように
これに賛意を表しています。

< 首相の靖国参拝をめぐっては外交面での波紋の大きさが注目され
がちだが、日本国民にとっての基本的な問題にきちんと向き合った点
を評価したい。

 提言にある新たな国立施設では、訪れた人がそれぞれ思い描く戦没
者を、望む形式で追悼する。対象は戦死した兵士に限られないし、ど
んな宗教・宗派の形式でも構わないということだろう。

私たちもこの考え方に賛成だ。>

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

"judgments" の訳語は「裁判」で問題なし

かねてから、サンフランシスコ講和条約の第11条にある"judgments"
の訳語は「裁判」か「判決」かの議論がありますが、政府は今日の閣
議で「裁判との語を当てることに何ら問題はない」との答弁書を決定
しました。

「『裁判』で問題なし? サンフランシスコ講和条約の訳語」(産経、
16日)

「日本国との平和条約」(昭和27年4月28日午後10時30分発効-内閣告
示1-)の第十一条【戦争犯罪】には、次のように書かれています。

< 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の
連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されてい
る日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。>

この条文中の「裁判」の原文はjudgmentsであるが、これは「判決」
と訳すべきで、したがって日本政府は極東国際軍事裁判そのものを受
け入れたのではなく、その判決を受け入れ、戦犯の処刑を引き受けた
だけとする意見があります。

現内閣の要である安倍官房長官もこの意見の持ち主と見え、以前にも
ご紹介しましたが、去る2月11日の衆院予算委員会で、この第11条に
ついて「ジャッジメンツを受諾した」と繰り返し、「裁判」そのもの
ではなく、「ジャッジメンツ」(判決)を受け入れただけで、わが国
が主体的に戦犯を裁いたのではなく、その処刑を引き受けただけだと
答弁しました。

今回の閣議決定で、官房長官も今後は「極東国際軍事裁判を受諾した」
と答弁しなければならないでしょう。

ところで仮にjudgmentsの訳語は「判決」としても、「判決は受け入
れるが、裁判そのものは認めない」というのは、法律の門外漢にはき
わめて解りにくいのですが、どなたか専門的に解説いただければ幸い
です。

国立追悼施設を考える会の提言

自民、公明、民主3党の超党派議連「国立追悼施設を考える会」の提
言がまとまりました。2002年12月に当時の福田官房長官の私的懇談会
が提唱した構想を踏襲した内容となっているとのことです。

靖国参拝問題:国立追悼施設の設置求める 超党派議連」(毎日、
16日)

これに対し、今朝の産経新聞のコラム「産経抄」は、他国に迎合する
ものとし、<このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守る
ため心ならずも散華した人々への感謝の念があるのだろうか。>と批
判しています。

安保闘争から46年

1960年6月15日、国会は「安保反対」を叫ぶ若者たちに取り囲まれま
した。あれから46年の昨日、当時の全学連の「同志」たち約170人が、
改憲阻止を訴えて国会周辺をデモ行進しました。平均年齢は約70歳。

米軍の再編に伴って、今また日米安保は新たな段階を迎えようとして
います。しかし、ワールドカップに熱狂する若者たちの姿は見られて
も、デモに参加する姿は見られません。

今朝の東京新聞のコラム「筆洗」も、<「6・15」が戦後長く、日
米安保条約反対のデモ隊によって国会が包囲された「安保の日」だっ
たという記憶は、ついに国民の脳裏から消え去ったかに見える>と書
いています。

<▼石原東京都知事は月刊誌の「愛国心大論争」特集への寄稿で、日
米が戦ったことを知らぬ若者の事例にあきれながら若者に日本の近現
代史を教えよと説く。自身の対米意識の基本を米議員に問われ、かつ
て米艦載機から機銃掃射を受けたときの敵意にあると説明したともい
う▼戦後この国は平和国家として再出発した歴史も教えなくてはなら
ない。>

「『6・15』が戦後長く、日米安保条約反対のデモ隊によって国…」

ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない

元長崎放送記者の伊藤明彦さん(69)が、1970年代に全国の原爆被爆
者から聞き取った録音テープを編集して、去る4月CD作品「ヒロシ
マ ナガサキ 私たちは忘れない」を制作されました。

このCDは伊藤明彦さんが自費で作成されたものですが、非売品とし
て、全国の図書館や平和団体に配られています。

70年代の被爆証言CDに 東京の伊藤さん」(朝日広島版、7日)

このほど、このCDから被爆証言の音声ファイルを収録したサイトが
作成されましたので、「戦争を語り継ごう -リンク集-」に掲載し
ました。被爆者の生の声をぜひお聴きください。

被爆者の声
被爆者284人の証言を集めたCD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは
忘れない」から音声ファイルを収録。生の声による被爆体験が聴け

遠い日の戦争―農民兵士と遺族たち

農村で暮らす人たちが戦争で受けた深い傷を、当事者に聞き取り取
材してまとめた冊子「遠い日の戦争―農民兵士と遺族たち」が4月
に刊行されました。秋田県羽後町の農業高橋良蔵さん(80)が30年
前から取り組み、湯沢市の「農を語る会」の支援で完成したもので
す。

この冊子には、羽後町貝沢地区を中心にした9家族の、戦争とのか
かわりがつづられています。一冊300円で希望者に配布しているそ
うです。連絡先は「農を語る会」事務局0183(73)0103
です。

戦争の傷、農村の証言 30年かけ冊子を刊行」(河北新報、4月
30日)

下記のブログに、読後感が書かれています。

東北農民兵士と遺族たち

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

05 | 2006/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。