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靖国問題に世界が注目 (韓国紙)

<7月20日と21日、ソウルでは、「世界の目で靖国を見る」とい
う国際学術大会が開かれる。5ヵ国の学者23人が、日本の首相や閣
僚たちの靖国神社参拝問題について世界史的な観点から学問的に検討
し、正しい過去史克服のモデルを提示する計画だ。>

と、今日の韓国・東亜日報は報じています。

靖国問題に世界が注目

そしてこの大会に出席する、高橋哲哉東京大学大学院教授と徐勝
(ソ・スン)立命館大学教授の意見も紹介しています。

高橋哲哉教授『政治指導者の参拝は民主主義の障害』」

<高橋教授は、「日本の政治指導者たちが靖国神社を続けて参拝すれ
ば、韓国や中国の人々の日本に対する不信と絶望感は、さらに深まる
だろう。他方では、日本国民の国家主義的な感情も刺激を受けるよう
になり、東アジアの平和は、大きく動揺することになる」と展望した。

そして、「政治と靖国神社の分離は、連合軍が主導した日本民主化の
柱だった」としつつ、「靖国神社参拝に対する米国知識人たちの批判
は、ますます強まるだろう」と話した。>

徐勝氏『宗教でなく軍事施設、韓国人合祀は不当』」

<靖国神社は、今も第2次世界大戦を「大東亜戦争」と指称し、侵略
戦争ではなく日本の生存権を守るための自衛戦争であり、アジア民族
解放戦争だったと主張している。

神社霊璽簿に記載された名票は、日本政府が伝えた。同名票は援護金
支給と連動しているという点をみても、日本政府が靖国神社を「単純
な宗教施設」と主張するのは偽りである。靖国は依然として、「天皇
制軍国主義国家」のアイデンティティを維持するための機構として存
在している。>



学童疎開受け入れの思い出

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に次のサイトを追加しましたの
で、ご覧ください。


学童疎開受け入れの思い出
学童疎開を受け入れた神奈川県綾瀬市の資料や当時の担当者による座
談会。綾瀬市のサイトから

「ポスト小泉」候補、衆院委員会で見解

今日の衆院決算行政監視委員会で、小泉首相は民主党の菅直人議員の
質問に答えて、靖国参拝は「心の問題」と述べた上で、自民党総裁選
挙ではこの問題を争点にすべきではないという考えを改めて示しまし
た。

また菅氏は、ポスト小泉の候補と目されている安倍、麻生、谷垣、与
謝野の各閣僚に対し、靖国神社参拝問題についての見解を質しました
が、各氏とも具体的な首相参拝の是非については答えを避けました。

首相“靖国参拝は心の問題”」(NHKニュース、12日)

本日の衆院決算行政監視委員会の中継録画は次のサイトでご覧になれ
ます。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=31190&media_type=wn

新規リンクのお知らせ

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に新しく次の2サイトを追加し
ましたので、ご覧ください。

わたしの受けた教育
戦前、子どものころ受けた皇国教育の思い出から、日の丸や戦争、平
和について述べている

軍国少年だった
軍国少年だった小、中学校時代の思い出

シンガポールにおける華人虐殺事件

昨夜、天皇はシンガポール大統領夫妻主催の歓迎晩餐会で、「私ども
は、それに先立つ先の大戦に際し、貴国においても、尊い命を失い、
様々な苦難を受けた人々のあったことを忘れることはできません」と
述べたと、今日の各紙が伝えています。この発言は、日本軍による華
人虐殺事件に関するものであることは、太平洋戦争の歴史に詳しい人
なら、すぐ分ると思いますが、そういう解説を加えたのは朝日新聞だ
けでした。

シンガポール訪問の陛下、歓迎晩餐会でお言葉」(朝日、10日)

皆さんの中にもご存じなかった方が多いと思いますが、太平洋戦争初
期の1942年2月に日本軍がシンガポールを占領した際、約1ヶ月にわた
って多数の中国系住民を殺害しました。日本政府の見解でも4~5千人、
現地では4~5万人の犠牲者が出たといわれています。

下記サイトによれば、すでにシンガポール上陸前に、占領後華僑の粛
清をやるので準備するよう憲兵隊に命令が出されていたということで
す。ある元参謀の話として、この命令は5万人殺す計画だったが、半
分を殺した段階でストップがかかったともいわれますが、それが事実
だとすれば、約2万5千人が殺されたことになります。

シンガポール戦と華僑粛清

秋丸機関

“秋丸機関”というのをご存知でしょうか?1939年、陸軍内部に戦
争準備のため密かに作られた経済謀略機関です。班長だった秋丸主
計中佐(当時)の名をとってこのように呼ばれていました。

この機関は、有沢広巳氏をトップとする学者グループを集め、英米
など当時の仮想敵国と日本や独伊などの経済力の分析に当たりまし
た。その結果は、「対英米戦の場合、経済戦力の比は20対1程度と
判断するが、開戦後二年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以後
は我が経済戦力は耐えがたい」というものでした。

昭和16年7月、この調査結果の陸軍省首脳に対する説明会が開かれま
した。杉山参謀総長は、「調査および推論は完璧であるが、結論は
国策に反する」と講評し、「報告書は直ちに焼却せよ」と命じまし
た。そして12月日本は戦争に突入したのです。

この秋丸機関いついて、秋丸氏のご子息がまとめられた「秋丸機関の
全貌
」をお読みください。

このサイトの解説にはこう書いてあります。

<軍首脳は「調査、推論は完璧」としながらも「結論は国策に合わな
い」と不条理な論理で退け無謀な戦争へと突き進んでいく。狂奔する
時局の流れの中で正論を正視する的確な判断力を国家指導者が失って
いたと言える。そうした危険な潮流は半世紀たった現代にも潜んでい
るように思われる>

共謀罪の次は不敬罪?

先にMLで皇族に対する敬語の使い方が問題になりましたが、今日午
前の衆院教育基本法特別委員会で、天皇、皇后に対する一部新聞報道
に敬語が使われていないことについて質問が出され、小坂文科相は
「敬語を使うべき方には敬語を使うべき」と答弁しました。

またこの件について、安倍官房長官は、個人的意見として「こうした
記述ぶりには政治家個人として、国民の1人として違和感を覚える」
と述べました。

両陛下への敬語不使用に疑問、違和感 小坂文科相、安倍官房長官
が表明
」(産経、8日)

従来から、読売、産経は「…された」と敬語を使っているのに対し、
朝日、毎日は「…した」とふつうの文体で書いていますので、ネット
などでは批判がありましたが、ついに政治の場で問題にされるように
なったようです。

共謀罪の次は不敬罪の復活でしょうか?

天皇の「戦争を語り継ごう」

東南アジア3か国訪問を前にした、6日の天皇・皇后の記者会見で、
在日外国報道協会代表から教育基本法に関する質問が出ました。詳し
くは次の宮内庁のウェブサイトをご参照ください。

http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h18singapore-01.html

これについて、今日の朝日新聞夕刊のコラム「窓 論説委員室より」
は、天皇が歴史をけっして忘れることなく平和を築く努力をしなけれ
ばならないとして、「先の大戦を経験しない人びとが多くなっている
今日、このことが深く心にかかっています」と述べたことを紹介し、
次のように書いています。

<過去を忘れず、経験を次の世代に引き継がねばならない。そうした
陛下のメッセージは一貫している。>

今日の韓国・中央日報もこの記者会見について「日本の天皇が第2次
世界大戦で多くの人が犠牲となった歴史を、日本人は忘れてはいけな
いと強調した」と報じています。

日天皇『歴史忘れてはいけない』…日本メディア取り上げず

01年の「皇室は韓国にゆかり」発言や昨年のサイパンでの韓国人犠牲
者慰霊塔参拝などから、かつて“日王”と呼んでいた韓国のメディア
も最近は“天皇”と呼ぶなど、小泉首相とは違って、天皇には好意的
のようです。

同友会提言採決の舞台裏

ご承知のように去る5月9日、経済同友会が首相の靖国神社参拝自粛や
全戦争犠牲者に対する無宗教の追悼碑建立を求めた「今後の日中関係
への提言」を公表しましたが、今朝の産経新聞がこの提言の採決の舞
台裏を詳しく紹介し、秋の自民党総裁選を念頭に出されたものとして
います。

「経済同友会『靖国参拝“自粛”を』 総裁選念頭に提言」
http://www.sankei.co.jp/news/060608/sei023.htm

飢えたるこどもたち (5)

暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968年8月)
掲載の「飢えたるこどもたち」から引き続き転載します。今回が最
終回です。

全文を表示 »

反戦川柳作家・鶴彬

今朝の朝日新聞大阪本社版の「声」欄に、泉大津市の川土居久子さん
(81)の投書が掲載されています。「川柳の政府批判でお縄かな」と
いう朝日川柳の句を読んで、反戦川柳作家・鶴彬(つるあきら)を思
い出したという内容です。

鶴彬は、満州事変、上海事変と、大日本帝国が戦争への道を進み出し
たころ、反戦の川柳を次々と発表しました。そのため1937年治安維持
法違反で、東京の野方署に検挙されます。そして拷問と長い拘留で栄
養失調から赤痢にかかり、翌年病院でベッドに手錠をくくりつけられ
たまま絶命しました。享年29歳でした。

川土居さんは投書をこう締めくくっています。

< 当時、私は現在の韓国にいた。食べ物に不足することもなく、日
本は絶対戦争に勝つと信じていた。だが、鶴は日本の暗部を見抜いて
いた。再び、あのような時代が来ないことを願うばかりである。>

インターネットで調べた鶴彬の川柳から、戦争に関する作品を抜粋し
てみました。

旗立てる事が日本に多くなり
人間へハメル轡を持って来い
高粱の実りへ戦車と靴の鋲
屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい
手と足をもいだ丸太にしてかへし
万歳と挙げた手を大陸においてきた
胎内の動きを知るころ骨がつき

安倍長官の叔父が靖国参拝で直言

安倍官房長官の叔父・西村正雄・元日本興業銀行頭取が雑誌「論座」
7月号で、「A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝を正当化す
る理屈は国際的には全く通用しない」として、次期首相は靖国参拝を
控えるべきだなどと提言しています。これについて安倍長官は今日の
記者会見で、「内輪の話だから、ここで申し上げる必要もないではな
いか」と語るにとどめました。

「『論座』で叔父直言 安倍長官は『内輪の話』」(朝日、6日)

西村氏は、雑誌「金融財政事情」2005.10.31号に「『政冷経熱』への
危惧」と題する日中関係についての一文を寄稿していますが、政治評
論家の森田実氏はこの文章を高く評価し、自身のウェブサイトでそれ
を要約しています。その一部をご紹介しましょう。

<(2)日本人が正しい歴史認識をもつことが重要である。1910年の日韓
併合以来朝鮮を植民地支配し、1931年の満州事変以降中国を侵略して
両国民に多大の損害と苦痛を与えたばかりか、戦時中侵攻したアジア
地域で軍部が非人道的行為をした事実は何人も否定できない。>

白秋寸言――『政冷経熱』への危惧に学ぶ

西村氏と同じく1933年生まれの天皇は、東南アジア訪問にあたっての
今日の記者会見で、東南アジア各国との間で「これまでの歴史を十分
に理解し、その上に立って友好関係が築かれていくことが大切です」
と述べています。

陛下、戦争は『心痛む』 東南アジア訪問で記者会見」(共同、6
日)

同じく33年生まれの私は、お二人の歴史認識に共通なものを感じるの
です。

飢えたるこどもたち (4)

暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968年8月) 掲載の「飢えたるこどもたち」から引き続き転載します。

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信太正道「特攻隊員の真実」

以前MLでご紹介しました「最後の特攻隊員」(1998年、高文研)の
著者、信太正道さんのご活動を久しぶりで新聞で拝見しました。

講演会:反戦活動家・信太さん『中翼が憲法守る』」(毎日大分版、
5日)

海軍兵学校出身の神風特攻隊員、航空自衛官、日航機長という経歴を
持つ信太さんは、現在「戦争屋にだまされない 厭戦庶民の会」の会
長として活躍されています。この信太さんがかつて「小林よしのりフ
ァンの若者たちへ」のメッセージとして書かれました「特攻隊員の真
実」をご紹介しましょう。

< 小林よしのりのコミック『戦争論』(新ゴーマニズム宣言スペシ
ャル)がたいへん売れているようです。その中で彼は、「戦争の中で
愛と勇気が試され/自己犠牲の感勤が生まれ/誇りの貴さを思い知る
こともある」と戦争を賛美しています。なにか、六○年前の雑誌『少
年倶楽部』を読んでいるような気になりました。

 当時の日本の少年たちは、戦争賛美の記事やイラストを満載した、こ
うした雑誌を血わき肉おどらせながら読み、知らぬうちに〃軍国少年〃
に染めあげられていったのです。

 小林よしのりには、当時の無邪気な〃軍国少年〃の姿が重なります。
彼こそまさに 「洗脳されっ子、純粋まっすぐ君」です。>

< 小林よしのりは、若者たちに喜んで郷土(クニ)のために死んで
もらう物語を用意すべし、と強調しています。だまされないでくださ
い。戦争も、そして軍隊も、小林よしのりが考えているようなものと
は違います。特攻隊当時はもちろん、海軍兵学校当時も、小林よしの
りのような無邪気な「純枠まっすぐ君」は私の周囲に一人もいません
でした。みんな自分の行く手に「死」を見ていたからです。「死」に
対して無知で鈍感な者だけが、戦争を賛美できるのです。>

http://www.jca.apc.org/keystone/K-ML9809/0656.html

靖国問題に関する御手洗発言

今朝の産経新聞の主張(社説)は、次のように書いています。

< 日本経団連の御手洗冨士夫会長は小泉純一郎首相の靖国神社参拝
について「首相は適切に判断している。経団連は過去に(靖国神社に
関する見解を)とりまとめたこともないし、これからも予定はない。
それは政治の仕事だ」と述べた。財界トップとして当然の発言であり、
評価したい。>

靖国問題 御手洗発言を評価したい

毎日新聞によれば、御手洗会長は会長就任時の記者会見で、首相の靖
国参拝について次のように述べています。

<◆戦争犠牲者に哀悼の意を表して、非戦を誓うのは日本人として当
然と思う。ただ、誰がどういう形でやるかは政治の世界で決着をつけ
てもらいたい。経済界が意見をまとめることにそれほど意味があると
は思わない。日中関係は民間の経済交流で拡大していくが、一日も早
く解決してもらいたい。>

経団連:靖国問題、政治の世界で--御手洗新会長に聞く」(毎日、
5月25日)

産経の主張の中では、 <御手洗氏は経団連会長に就任する以前にも、
月刊誌で「きびしい経済改革は愛国心とセットになって初めて成功す
る」「『愛社精神』こそ、日本経済の競争力の源泉なのだ」などと書
いていた。>とありますが。この月刊誌は「文芸春秋」00年7月号に
掲載された「愛国心なき経済改革は失敗する」という記事のことと思
われます。

愛国心なき経済改革は失敗する 御手洗冨士夫(キャノン社長)」

“愛国心”について、御手洗氏は日本経団連総会における就任挨拶で
次のように述べています。

<こうした思いやりや公徳心を、私は「愛国心」と呼びたいと考えて
おります。この愛国心があればこそ、他人の気持ちや痛みも理解する
ことができ、他国を尊重する態度も生まれます。

福沢諭吉翁は、「苛(いやしく)も愛国の意あらん者は、官私を問わず
先ず自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成す可(べ)し」
と説いておられます。

私は、真の愛国心は、偏狭な排外主義や軍国主義とは全く無縁なもの
であり、社会人、国際人の精神的よりどころとして、幼いときから育
むべき重要なこころであると確信しております。>

日本経団連総会における御手洗新会長就任挨拶

有馬稲子が寄せ書きした日章旗

flag

(クリックすると拡大されます)

拙サイト「旧日本軍人の遺留品」へ、米カリフォルニア在住のある日
本人から戦争遺留品である日章旗を掲載してほしいとの依頼がありま
した。知り合いのアメリカ人のお母さんが戦時中フィリピンの病院で
看護婦をしておられた時、その病院で亡くなった日本兵から受け取ら
れた物で、元の持ち主に返したいとのことです。

この旗にはあいにく贈られた兵士の名前が書かれていなく、数名の人
の名前が寄せ書きされているだけで、それだけが手がかりですが、そ
の寄せ書きの中に、「中西盛子・十三才」という名がありました。

インターネットで検索してみますと、「中西盛子(みつこ)」という
のは、女優の有馬稲子さんの本名です。昭和7年生まれの彼女が当時
の数え歳で13才といえば昭和19年のことで、年代的には符合します。

そこでまたネットで有馬さんの連絡先を調べ、写真をメールで送った
ところ、やはりご本人が書かれたものと確認されました。もう一人寄
せ書きの中にある松永智恵子さんは、釜山(現・韓国プサン)第一国
民学校当時の同級生で、今でも親交があるそうですが、お二人の話か
ら、当時学校に宿泊した兵隊さんに贈ったものであろうとのことでし
た。しかし部隊名は秘密にされていましたし、兵士の名前ももちろん
わからないとのことです。

昭和19年(1944年)といえば、日本陸軍は旧満州に駐留していた兵力
を南方戦線に転進させていた時期で、釜山はその中継港として、多く
の部隊が輸送船待ちのため一時滞在していたといわれます。その時、
国民学校の児童たちが、先生に言われて、兵隊さんたちを励ますため、
こういう旗を贈ったのではないかと考えられます。

これでこの日章旗の元の持ち主のご遺族を探す一つの手がかりが見つ
かりましたが、これだけではまだまだきわめて難しいといわざるを得
ません。何か関連した情報がありましたら、些細なことでもけっこう
ですから、ぜひお知らせください。

飢えたるこどもたち (3)

暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968年8月) 掲載の「飢えたるこどもたち」から引き続き転載します。

全文を表示 »

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「戦争を語り継ごう -リンク集-」に新しく次の2サイトを追加しまし
た。二つともも同じ筆者の体験記ですが、なかなかの名文で読みやす
いですから、ご一読をお奨めします。

遠い日の東アジアで
1937年から1942年にわたる朝鮮での生活体験にもとづいた自分史的記
述。戦時下の学生生活や朝鮮民族の人々との交流など。「大戦の果て
の山野に」に続く

大戦の果ての山野に
陸軍主計将校としてフィリピンに従軍、敵と飢餓と戦いつつ、ミンダ
ナオ島の山峡の密林を踏破した、終戦に至る最後の数ヶ月の体験。

君が代判決 保護者の証言

君が代判決について、多くの方からご意見をいただきました。

板橋高校の卒業式の様子を、出席していた父母の証言を中心に、もっ
とも詳しく報じているのが地元の東京新聞です。

< 保護者席の一番前に座っていた女性Aさん(47)は二年前の卒
業式を振り返る。「藤田さんが卒業式を妨害しようとしている印象は
全く受けなかった。なぜ、こんなことが警察に通報されなければいけ
ないのかと不思議に思った」という。>

< OBとして出席していた男性Cさん(23)は「保護者席では、
知り合い同士がおしゃべりしていて、この二人のやりとりは特に注目
も引かず、場内がざわつくこともなかった」という。
(中略)
 前出のCさんは「威力や妨害と聞いて、むしろ卒業式の最中に卒業
生に向かって大声で『立ちなさい』とどなった教頭や来賓の都議のこ
とかと思った」と話すのだが。>

君が代不起立呼びかけ『罰金』のナゼ 妨害の印象ない」(東京、
1日)

Re: 君が代判決に関する社説

裁判沙汰にするよりも、じっくり話し合って解決の道を探るべきだと
する朝日の社説に対し、「今の東京の教育に意見の相違をじっくり話
し合って解決していくような雰囲気がないのが、問題なのではないで
しょうか」というご意見をいただきました。まったく同感です。

昨日の韓国・朝鮮日報のコラム「記者手帳」も、この問題を採りあげ
ていますが、ここでは君が代斉唱のとき起立しなかった90%の卒業生
にポイントを置いて書いています。

日本の新世代と『君が代』」

卒業式の開始を2分遅らせただけで、「威力業務妨害罪」として裁判
沙汰にまでなったのは、このようにほとんどの卒業生が起立しなかっ
た腹いせに、当日来賓として出席していた民主党の都会議員が都議会
で問題にしたためだという説があります。

この“来賓”は、君が代斉唱中に携帯電話で写真を撮りまくり、大声
で生徒に「起立しなさい」とわめいたそうですが、この方がむしろ問
題ではないでしょうか? こういう事実もメディアは採りあげるべき
だと思います。

君が代判決に関する社説

ご承知のように、都立板橋高校の卒業式直前に国歌斉唱時の着席を保
護者に呼びかけた元教諭が、東京地裁から罰金20万円の判決を受けま
した。 この件について、昨日の朝日に続いて、今日の産経、北海道
の各紙が社説で論じていますので、ご紹介します。

君が代判決 教育に刑罰は似合わぬ」(朝日)
< しかし、教育のプロである教育委員会や高校が、学校で起こった
問題をすぐに捜査機関に委ねようというのは安易ではないか。そうし
た教える側の態度は、生徒の目にはどう映るだろう。

 元教師のような行為を二度と許さないというのなら、相手とじっく
り話し合って解決の道を探ることもできるはずだ。

 本来、教育にかかわる問題が刑事裁判の法廷に持ち込まれることは
望ましいことではない。今回の判決で、その思いを新たにした。>

君が代判決 妨害行為に刑罰は当然だ」(産経)
< この事件は、高校からの被害届を受けた警察が捜査し、東京地検
が起訴した。教育現場で起きたことであり、刑事罰を科すほどの悪質
な行為ではないとする一部新聞の論調がある。

 しかし、元教諭が行ったことは、常軌を逸脱している。学校だから
といって、許される行為ではない。安易に警察沙汰(ざた)にすべき
でないということは、児童生徒の問題行動などに対しては言えても、
大人である元教諭にはあてはまらない。>

君が代判決*教育現場の委縮が心配」(北海道)
< 「君が代」の背景にある歴史や歌詞の意味を生徒にどう教え、式
典でどう扱うかは、長く論争を呼んでいる問題である。教育問題を刑
事裁判の場に持ち出し、罰金ではあっても刑罰に処したことは妥当だ
ろうか。 >

証言による南京戦史


次のサイトを新しく「戦争を語り継ごう -リンク集-」に追加しま
したので、ご覧ください。

証言による南京戦史
旧陸軍将校による親睦団体・偕行社が、南京戦従軍体験のある会員か
ら聞き取り調査を行い、機関誌に掲載したもの(PDF版)

この資料は、1983年に偕行社が、南京事件の「『大虐殺の虚像』を反
証し、公正な歴史を残す」ため、機関誌の「偕行」で従軍体験者の投
稿を募り、それを約1年にわたり連載した記事です。

旧陸軍将校の証言ですから、やはり民間人に対する殺害、暴行などは
ほとんど証言されておらず、南京城内における略奪、放火などは中国
兵が退却の際行ったものだとしていますが、中国兵捕虜については、
「降伏を認めるな。処置せよ」という命令が下されたという、数々の
証言が寄せられました。その一例を引用します。

< ちなみに、私が陸士を卒業する直前の昭和一二年六月、市ケ谷の
大講堂で飯沼守生徒隊長から記念講演「捕虜の取扱いについて」を聞
き、捕虜は丁寧に取扱わねばならないと教えられました。その生徒隊
長は、いま、上海派遣軍の参謀長であります。卒業後僅か五か月の今
日「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、
私の脳裡から離れません。>

こういう証言がいくつも出てきたことは、当初の編集部の意に反する
もので、編集委員の細木重辰氏も「その後、お読みのように甚だ遺憾
な証言・書証が多く発掘されてきたのですが、『南京で何が行われた
か』を明らかにするという自らに課した編集態度は、どんなにつらく
てもくずすわけにはまいりません」と書いています。

上記のサイトには、どういうわけか1985年3月号の最終回だけは掲載
されていませんが、編集責任者の加登川幸太郎氏は最終回の「その総
括的考察」で次のように書いています。

< 中国国民に深く詫びる

 重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もな
く大きな数である。

 日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業
を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざる
を得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、
この大量の不法処理には弁解の言葉はない。

 旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。
まことに相すまぬ、むごいことであった。>

「その総括的考察」は下記のサイトで読むことができます。

http://www.geocities.jp/yu77799/giseisha.html#kaikou

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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