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神話と歴史教科書

斎藤彰さんの貴重なサイト「終戦前後2年間の新聞切り抜き帳」に、
「高天原はつくり話」という見出しの1946年3月15日付けの新聞記
事が掲載されています。文部省の官僚が、それまでの歴史教育にあ
った神話を否定し、正しい歴史の見方をラジオ放送を通じて教えた
という内容です。

堕ちた偶像

今の若い皆さんには想像もつかないと思いますが、私たちが国民学
校(今の小学校)で習った“国史”(日本史)は、イザナギ、イザ
ナミの「国生み」から始まっていました。「縄文・弥生」などの言
葉を知ったのは、戦後になってからでした。

「初等科国史上」の1ページ目には、次のような、天照大神が孫・ニ
ニギノミコトに与えとされる「神勅」が掲げられています。

<豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地な
り。宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ。宝祚の隆えまさんこと、
当に天壌と窮りなかるべし>

国史の授業は5年生からでしたが、それまでも2年生の国語の「国引
き」を初めとして、教科書には神話がさかんに登場します。3年生
前期の「国語一」では24課中5課が、「修身一」では20課中4課が神
話を扱っています。上記の“神勅”もすでに分かりやすい言葉で引
用されているのです。

また旧制中学校でもやはり国史は天孫降臨から始まっていたそうで、
戦時下の盛岡中学」というサイトでも、良心的な歴史の教師が、
「国史の授業は歴史としてはっきりしている大化改新のところから
始めます」とさりげなく言って、神話の部分は端折られたと書かれ
ています。

さらに小学校へ入る前でも、「アマテラスオウミカミ」や「ヤマト
タケルノミコト」などは、「モモタロウ」や「ハナサカジイサン」
と並んで絵本の主人公でした。こうした“英才教育”で、私たちは
「日本は神の国」ということを刷り込まれていったのです。1937年
生まれという前総理は、そういう幼児体験から未だに抜けきってい
ないようですね。

今また、いわゆる「つくる会」の「新しい歴史教科書」では、こう
いう神話が復活しているようです。私には、「古い歴史教科書」と
しか見えません。

神武天皇の東征伝承 (新しい歴史教科書・第1章第2節)」

小熊英二:ナショナリズムの今

今朝の朝日新聞に、「小熊英二さんと考える ナショナリズムの今」
という見出しで、小熊英二・慶応大助教授(歴史社会学)のインター
ビュー記事が掲載されています。

<総じて近年の日本で台頭しているのは、ナショナリズムともいえま
すが、不安を抱えた人びとが群れ集う「ポピュリズム」だと考えたほ
うが適切だと思います。>

という指摘は、まことにうなずけるものがあります。

彼はまた上野陽子氏と共著で「<癒し>のナショナリズム―草の根保
守運動の実証研究
」(慶應義塾大学出版会、2003)という本を書いて
いますが、これに対する次のような感想も、最近の一部の若者に見ら
れるナショナリズムについて参考になります。

<小熊は「日本人としての誇り」を強調する「つくる会」が、60歳以
上の層と20歳代および30歳代の層に分かれることに着目し、価値観の
定まらない若者たちが、この運動に〈癒し〉を見出したのだと指摘>

< かつて社会学者の宮台真司は、「つくる会」が掲げる歴史観を批
判して、「オヤジの慰撫史観」と形容した。しかし上記のような二層
構造を踏まえるならば、(中略)年長者の「慰撫史観」であると同時
に、〈若者の癒し史観〉でもあるといえる。

この運動が従来の保守系運動とは比較にならないほど若年層に影響
力を発揮した理由は、年長者の団体に「客寄せ」として若い世代のメ
ンバーを加えたのではなく、当初は価値観の揺らぎから脱出するため
に始まったアモルフな動きに、保守系ナショナリストの「保守のレト
リック」が与えられたことで形を整えていった運動である点にある>
http://learning.xrea.jp/%A5%CA%A5%B7%A5%E7%A5%CA%A5%EA%A5%BA%A5%E0.html

経済同友会提言の反響

昨日発表されました経済同友会の「今後の日中関係への提言」につい
て、政府・与党内からいろいろな反響が出ています。

首相の『商売』発言に神崎代表が苦言」(朝日、11日)

経済同友会の靖国自粛提言に批判相次ぐ 首相も不快感」(産経、
11日)

なお中国側は、中国国際放送局・CRIが事実を報道しただけのよう
です。

日本の経済同友会、未来に目を向けた日中関係構築を提案」(CR
I、10日)

これについて、今朝の朝日、産経、北海道の3紙が社説で論じていま
す。

同友会提言 財界も憂える靖国参拝」(朝日)
< 納得できないのは小泉首相の対応だ。「財界の人から、商売のこ
とを考えて、(靖国神社に)行ってくれるなという声もたくさんあり
ましたけど、それと政治とは別です、とはっきりお断りしています」
と述べた。目先のそろばん勘定からの提言と言わんばかりの態度はあ
まりに失礼だろう。>

同友会提言 中国干渉に手を貸す恐れ」(産経)
< 日本の政界でも、次期総裁選をめぐり、東アジア外交に絡めて靖
国問題を焦点にしようとする動きがある。そんな時期に、経済同友会
があえて首相の靖国参拝の自粛を求める提言を行ったことは、中国な
どの内政干渉に手を貸すことになりかねない。>

日中関係提言*同友会の憂慮も分かる」(北海道)
< 歴史認識問題で企業利益まで損なわれたくないとの一面も感じら
れるが、全体として日中関係改善に向けた一石になる内容だ。首相は
きちんと耳を傾けるべきだろう。>

富士通と日中経済共生

昨日書きました「トヨタと北東アジア安全保障」について、共感の
ご意見をいただき、ありがとうございました。

別稿のように、経済同友会も「日中両国の友好関係が国際社会の平和
と繁栄に貢献する」とする提言を発表しましたが、同会の代表幹事の
北城恪太郎氏は日本IBM会長、日本経団連会長の奥田碩氏はトヨタ
自動車会長です。

日本の財界を代表する二人の出身会社は、ともにいうまでもなく典型
的な世界企業です。世界各国に市場と生産拠点を持つ、こういう企業
にとって国と国との戦争は大きなマイナスであることは想像に難くあ
りません。もちろん両社とも軍需でも潤うことでしょうが、それ以上
に失うものがはるかに大きいと思います。大企業→軍需→戦争という
単純な見方は、今や古典的と思えます。

今日の産経新聞は、経済同友会の提言について、「賛成多数で可決し
たが、出席した約70人の幹事のうち11人が反対した」と反対者の
数だけを挙げていますが、もちろん財界人の中にも首相の靖国参拝に
賛成の人もいます。

その代表格が、陸軍航空士官学校出身の山本卓眞・富士通名誉会長で
しょう。彼は雑誌「諸君」05年2月号掲載の「財界人よ、靖国に行っ
て頭を冷やせ」という文章で次のように書いています。

<中国こそアジアにおける最大の『戦争勢力』であり、こういう国と
密接不可分な関係を持つことは十分注意する必要がある>

<『東アジア共同体』構想を実現するためにも、日本と中国の関係を
修復しなくてはならない、そのためには小泉首相の靖国参拝を中止す
べきだ…と考える向きもあるでしょうが、とんでもない話>

<『将(小泉)を射んと欲せば先ず馬を射よ』ということで、(中国
が)『馬』に相当する経済界をターゲットにして、『靖国参拝反対』
の合唱をさせようとする>

日本はアジアに目を向けるのかアメリカ一辺倒で終わるのか」から
孫引き

しかし山本氏がかつて社長を務めた富士通は、目下巨大な中国市場へ
の進出に力を入れています。そして富士通総研は中国社会科学院と共
催で、この4月に「日中経済の将来展望-共生への道」というテーマ
で第1回日中経済専門家会議を開いています。その趣旨は、

<近年、日中関係は「政冷経熱」といわれるように、決して良い状況
にあるとはいえない。日中関係が悪化するきっかけは、小泉首相の靖
国神社参拝だったが、それに加え、イデオロギーの違いや領土・地下
資源などの利権問題も複雑に絡み合っている。

 しかし、日中経済はこれまでの30年間通商と直接投資の促進により
相互依存関係が大きく強化され、アジア経済のけん引役である。日本
と中国がアジアのリーダーとして域内の平和と繁栄に貢献しなければ、
アジアに明るい未来はない。重要なのは、日中両国が戦略的な視点か
ら歴史の負の遺産を乗り越え、将来に向けた明るいビジョンを示すこ
とである。>
http://www.fri.fujitsu.com/jp/modules/report/list_04.php?list_id=10566

資本の厳しい利益追求原理の前には、名誉会長の「心の問題」も霞ん
で見えますね。「コンピュータ(クルマ)のために、国を売るのか」
と批判する向きもあるようですが…。

経済同友会の提言の全文

昨日発表されました経済同友会の提言の全文は、下記サイト(PDF
版)で読むことができます。岡本三夫・広島修道大名誉教授も、「広
島修道大学で中国人留学生を含む200人以上が受講している『ヒロ
シマと平和』という私の担当している平和学の授業で必読の参考文献
にするつもり」と高く評価されています。

今後の日中関係への提言 ―日中両国政府へのメッセージ―」

小泉首相、8月15日の靖国参拝を検討

小泉純一郎首相が8月15日の終戦記念日に靖国神社に参拝した場合に
どのような影響があるかを具体的に検討し始めた、と昨日の日経新聞
が報じました。

終戦記念日の靖国参拝、首相が本気で検討

この記事を、韓国の東亜日報と中央日報が今日早速伝えています。

小泉首相、8月15日に靖国参拝か 日本紙報道」(東亜日報)

小泉首相、8月15日の靖国参拝を検討」(中央日報)

「首相の靖国参拝再考を」 経済同友会が提言

先の記事で、財界には小泉首相の靖国参拝に根強い批判があると書き
ましたが、経済同友会は今日、小泉首相の靖国神社参拝に再考を促す
ことなどを盛り込んだ「今後の日中関係への提言」を発表しました。
民間人を含む戦争犠牲者すべてを慰霊する無宗教の国立追悼碑の建立
も提案しています。

この提言は出席幹事約70人中約60人の賛成で可決したとのことです。
自民党総裁選を前にして、今後こういう声はますます強くなると思わ
れます。

「『首相の靖国参拝再考を』経済同友会が提言」(asahi.com 09日21
時20分)

これに対し、小泉首相は「財界の人から商売のことを考え(参拝に)
行ってくれるなとの声もたくさんあるが、それと政治は別だとはっき
りお断りしている」と述べています。

「『商売と政治は別』首相、同友会提言を拒否」(共同通信、9日20
時55分)


トヨタと北東アジア安全保障

「ピースデポ」という、平和問題に関する系統的な情報・調査研究
活動を通じて、草の根の市民活動に貢献していこう、という目的で
設立された市民団体があります。

そのサイトを開きますと、「トヨタ・プロジェクト」という文字が
目に付きました。財団法人トヨタ財団が助成する研究プロジェクト
で、名称は「市民社会が構想する北東アジア安全保障の枠組み」、
報告書のタイトルは「<脱軍備>で平和と安全を」とあります。

http://www.peacedepot.org/theme/toyota/toppage.html

日本を代表する大企業が、このように反戦平和を目的とする市民団体
に助成金を出しているとは、寡聞にて知りませんでした。まったく時
代が変わった感がします。

戦前の日本経済の中心は、いわゆる重厚長大型の産業が中心で、軍需
は大きなお得意さんでした。また海外市場へ進出するにも、海外から
資源を輸入するにも、国境の壁があり、武力を必要としました。大企
業にとって、戦争は“オイシイ”ものでした。

しかし戦後の日本経済は民需が中心で、しかも経済のグローバル化に
よって、武力を伴わなくても、どんどん海外へも進出できるようにな
りました。日本でもっとも利益を上げているトヨタは、その稼ぎの大
半を海外市場であげています。中でも、お隣の中国はこれからの一番
の得意先であることはいうまでもありません。

これら大企業にとって、今や戦争は大きなマイナスで、安定した国際
関係こそ望まれています。日本経団連や経済同友会などが、「東アジ
ア経済共同体」を志向しているのもそのためです。右翼テロを恐れて
余り公言はされませんが、財界の中でも小泉首相の靖国参拝に対する
批判は根強いようです。

アメリカでも、ブッシュ政権は当初ネオコンや産軍複合体の勢力が強
く、中国に対しても強硬姿勢が見られましたが、最近では中国市場を
狙う産業の勢力が強くなり、柔軟な姿勢に変わってきました。

最近日本経済が上昇機運に転じたのも、アメリカの景気が安定してい
るのも、中国の影響が大きいと思います。また中国にとっても、13億
人の生活を向上させていくには、日本やアメリカなどの経済交流を欠
くことができません。

社会主義国が市場経済化し、経済がますますグローバル化して、各国
の経済がお互いに“共生”関係に進みつつあるおりから、かつては戦
争へのアクセルを踏んだ経済が、今や戦争へのブレーキを踏む時代と
いえましょう。トヨタが「<脱軍備>で平和と安全を」というプロジ
ェクトに金を出すのはその表れです。

よく中国の脅威をことさら言い立て、日本も対抗しなければと言う人
がいますが、そういう考えは帝国主義や冷戦時代の前世紀的思考から
抜けきっていないといえましょう。

山の上から大石を転がすようなもの

今日の読売新聞のコラム「編集手帳」は、1943年1月ごろ、時の首相
・東条英機が「いくさというものは、山の上から大石を転がすような
ものだ」と言ったことを紹介しています。東条は沈痛な面持ちで「結
局谷底まで行かねば、始末はつかない」と続けたそうです。

そして<日米開戦の責任以上に、終戦を無為に遅らせた東条の責任は
重い>としながらも、<あの戦争の責任を7人あるいは28人(起訴
されたA級戦犯)だけに押しつけられるものでないのは、歴史を少し
でも学べばわかる。なぜ転がるのをとめられないほどの「大石」にし
てしまったのか。いま必要なのは、日本人自身が歴史と真摯(しんし)
に向き合うことだ。>と述べています。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060507ig15.htm

マッカーサーの洗脳?

かつて、ある見知らぬ高校生から、「あなたは、戦後のマッカーサー
の洗脳教育に毒されている」といったメールを貰ったことがあります。
当時のことをまったく知らない高校生がなぜそういうことを言うのか、
疑問に思ってインターネットで調べてみますと、WGIP(War Guilt
Information Program)という言葉が多数見つかりました。

WGIPというのは、1948年2月にGHQ(連合国最高司令部)のCIE(民間
情報教育局)からCIS(民間諜報局)に宛てて発せられた文書で、
「日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける」こと
を目的とするものです。

確かに当時CIEは、教育だけでなく、マスコミ、映画、文学、美術な
ど、あらゆる情報の分野から軍国主義、国家主義的なものを一掃しよ
うと規制を掛けました。中には、柔剣道やチャンバラ映画の禁止など、
子供心にもいき過ぎではないかと思われるものもありました。

そういうものからまったく影響を受けていないとは言いませんが、し
かし私の場合軍国少年から反戦少年に転向した一番大きなきっかけは、
あの8月15日の玉音放送でした。

「有史以来、日本は戦争に負けたことがない。唯一の国難であった元
寇の際は、神風が吹いた。今に神風が吹いて、日本はかならず勝つ」
「もし万一敗れるときは、一億玉砕だ」と教えられてきた11歳の少年
には、それは信じがたいことでした。

声を聞いたら耳が潰れるなどと思っていた“生き神様”の声は、想像
と違って、何かぎこちない感じがしました。いくら「大日本帝国は神
国」「天皇は現人神(あらひとがみ)」と教え込まれても、子供心に
何か心の奥底で感じていた疑問が、それから急に融けていきました。

ですから、民主主義を説く戦後教育もすんなり受け入れることができ
たと思います。私の場合、反戦少年への転向は、決して“マッカーサ
ーの洗脳”でなく、余りにも非科学的、非人間的な軍国主義、国粋主
義教育の反動によるものです。

少し年長のNさんも、「軍国主義への疑問は、8月16日から始まり
ました」「戦後教育からは、何の影響も受けなかったということです」
と書かれました。小学生だった私でさえそうでしたから、自分の頭で
考える力がつき始めた旧制中学生では当然と思います。

同じく敗戦時10代だった皆さんの場合は、どうだったのでしょうか?

“英霊 ”への献花より平和の誓い

本土決戦の“捨て石”とするという大本営の作戦に忠実に戦争を長引
かせ、多くの沖縄県民を巻き添えにした陸軍の牛島満司令官とは対照
的に、大田実海軍司令官は、陸軍からの南部への撤退要請を拒み、短
期決戦で部下とともに自決しました。

最期に打電した「沖縄県民斯ク戦エリ。県民ニ対シ後世特別ノ御配慮
賜ランコトヲ」という電文は有名ですね。

沖縄の人たちの多くは、陸軍の牛島司令官と長参謀長のことを今も呼
び捨てにしているようですが、海軍の大田司令官のことは「大田中将」
と呼んでいるそうです。

大田中将の長男・大田英雄氏の「“英霊 ”への献花より平和の誓い」
という言葉にも感銘を受けました。父が戦死したとき11歳だった英雄
氏は、戦後高校教師になり、平和教育に力を尽くされたそうです。こ
の父にして、この子ありですね。

2001年8月7日付の朝日新聞の記事をネットから、引用します。
--------------------------------------------------------------
「“英霊 ”への献花より平和の誓い」 
            
父は戦争末期、沖縄根拠地司令官として沖縄海軍部隊を指揮した。
少将だった。45年6月、幕僚らと自決。52年春、しゃれこうべになっ
て帰宅した。黒ずんだ頭蓋の脳天にピストルの弾が抜けた大きな穴が
あいていた。「お父さまよ」と母は言ったが、無様で嫌な感じがした。
頭蓋は33回忌を機に沖縄、豊見城の海軍戦没者慰霊之塔に納骨した。
家の墓には小指の骨が納まる。

小泉さんの靖国参拝は首相として疑問だ。為政者の過ちで大勢の人々
を死なせておいて、慰霊だけはするという話ではないと考えるからで
ある。内外にあれほど惨禍を与えた戦争への反省も感じられない。首
相は、国に命を捧げた英霊に哀悼の誠を尽すことのどこが悪いのだと
いう。しかし、日本の軍国主義や戦争に反対して殺されたり、獄中死
した人たちも、反対することで国家、国民に尽くそうと考えたに違い
ない。

英霊とは何か。靖国神社の前身は明治維新後にできた東京招魂社だ。
合祀された慰霊はそもそも「皇運挽回」のため命を投げ出した人々で
あった。私はそうした靖国思想自体が今日そぐわないと思う。県民の
四人に一人が死んだ沖縄で、父らは県民とともに、近代装備の連合軍
に竹やりで立ち向かおうとした。英霊に献花しなくても平和は誓える。
あの戦争は何だったのか、人々が平和に暮らすために政治はどうある
べきか、世界の指導者は話し合ってほしい。

 大田英雄さん  34年生まれ 元広島県立井口高校長

http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/yasukuni2.html

天皇と憲法

今ご紹介しています書物「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」
は現在の天皇制を批判していますが、今日の朝日新聞の社説も「天皇
と憲法」について考えています。

天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って

< 「日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに、皇
位を継承しました」。元号が昭和から平成に変わって2日後、天皇陛
下は即位後の儀式で、こう述べた。服装は列席の各界代表と同じよう
にモーニングコートだった。

 昭和が始まるときの儀式はどうだったか。昭和天皇は陸海軍を統帥
する大元帥の礼服に勲章を帯び、「朕(ちん)、皇祖皇宗の威霊に頼
り万世一系の皇位を継承し」で始まる勅語を読んだ。

 こうして二つの儀式を比べると、戦前と戦後の天皇の違いがよくわ
かる。>

< 古来の伝統や文化を大切にして継承する。同時に、国民の意識や
考え方に寄り添っていく。それが国民の求める皇室像ではないか。そ
れはまた、天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と定める憲法の精
神にもかなうことだろう。>

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか(3/3)

裕仁天皇に対してはたいへん厳しい評価をした筆者ですが、本の副題
にもあるとおり、明仁天皇にはずいぶん好意的です。

皇太子時代の天皇とは、ずいぶん親しい間柄であったようです。例え
ば、1964年の皇太子夫妻がメキシコを訪問した帰りの特別機の中で、
皇太子が自ら記者の座席まで来て、記事の原稿のことで頼んだり、記
者会見のとき煙草を手にしたら、美智子妃が火をつけてくれたといっ
たエピソードが紹介されています。

それは単に同じ歳という気安さだけでなく、二人が同世代としての平
和観を共有していたからではないかと思います。天皇が反戦平和の思
いを持っておられるのではないかということは、このMLでも再三言
ってきましたが、この本でも随所にそれがうかがわれます。例えば、

●皇太子時代に、「天皇家は武でなく文です」と語った。
●即位式で、「日本国憲法を遵守し」と述べ、ある自民党政治家に
「いまどき憲法擁護など言ってもらったら困る」などと言わせた。
●イラク派兵などの憲法空洞化に深く心を痛めており、私的に招い
たマスコミ幹部OBにそれを漏らしている。

そして筆者は、天皇の心のうちを忖度して、終章で次のように書いて
います。

< 自民党の「新憲法草案」では、与党連合を組む公明党や、民主党
の改憲派に配慮したので《愛国心の強調》は当初よりもトーンダウン
させている。しかし、本音は別のところにある。ハードルを低くした
「憲法改正条項」を利用して、そのうちもっと色濃く《皇室への尊崇
》ひいては《愛国心の強制》を打ち出すのではないか。

つまり、《愛する国》を守るために武器を持って立ち上がれという
国民意識を高めようとするに違いない。いま行われている「歴史教科
書の改変」と「国旗・国歌の強制」などは、その地ならしなのだ。

明仁天皇はとても困ると思う。

父昭和天皇の苦悩を一番知っているのは明仁天皇だ。軍服を着た父。
生き神にされた父。その神秘性を利用された父。小学六年生まで、そ
れを信じていた自分。その価値観が一夜で逆転してアイデンティティ
ーを見失い、やっと新憲法をよりどころにして、心の安定を見つけ、
それを支えに即位して一七年……。

「天皇家は武ではなく文です」と語つた皇太子時代の言葉は、穏やか
な表現だが、心の奥の葛藤からふり絞られた痛切な思いだったと思う。
靖国神社に行かないのもそのためだ。「オイオイ待ってくれよ」と叫
びたいに違いない。

しかし何度も言うが、天皇には拒否権はない。

代わつてわれわれ国民が考えなければいけない。こちらから「明仁
さん、美智子さん、皇族やめませんか?」と言ってさしあげなければ
ならないのだ。>
(おわり)

下記のサイトもお読みください。

「“菊のタブー”に挑んだ元宮内庁記者の心意気
< しかし本書の真の価値は、皇室の内幕ネタにあるのではない。こ
れまで誰も言及しなかった(できなかった)、現行の象徴天皇制の矛
盾に光を当て、そこで起きている皇室の人々の「基本的人権の剥奪状
態」を指摘し、しかもその元凶は宮内庁でも因習でもなく、深く考え
もせずに象徴天皇制を漫然と受け入れている、日本国民自身ではない
かと問題提起する。それもきわめて平易な言葉と洒脱な表現によって、
サブタイトル通り「愛をこめて」。>


明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか(2/3)

昭和天皇については、その生の人間像についてというよりも、主とし
て文献等を基にして戦争責任問題を追及しています。

「無頼記者」として宮内庁記者クラブでも異色の存在だった筆者は、
ある時それまでの慣例を破るような不躾な質問を昭和天皇にしたこと
があるそうです。旧憲法時代なら、“不敬者”として侍従武官などに
その場で斬り殺されても文句のいえない質問だったと言います。

そのときの天皇の対応から、「下世話な言い方をすると、まことに《
良いお人柄》」と感じたそうです。しかしその人がかつて「絶対不可
侵の神聖なる君主」「陸海軍を統率する大元帥」であったわけで、お
人柄はともかく、その戦争責任は追及せねばならない。そして筆者の
結論は「重大な責任あり」ということです。

その理由は、昭和天皇の建前は“立憲君主制”であったが、実際はご
下問・奉答などを通じて間接的に自分の考えを示しており、“臣下”
はその顔色をうかがって天皇の意思を確認していたということです。
その結果として、戦争はどんどん進められました。ですから死後発表
された「独白録」も、戦争責任を回避するための自己弁護であったと
断じています。

戦後「人間宣言」はしたものの、自分が“神の末裔”であるという神
権思想は終生持ち続けており、“象徴天皇”になっても、政治に対す
る姿勢は変わらなかったといいます。元宮内庁長官だった宇佐美毅の
オフレコ談によると、戦後の首相で天皇の前でまともに話ができたの
は吉田茂くらいで、池田勇人その他は皆コチコチ、ましてやヒラの大
臣などはメロメロだったとのことです。それ故戦後も昭和天皇による
間接的な“政治指導”はあったのではないかと、筆者は推察していま
す。

また昭和天皇は、ソ連などの共産勢力に強い脅威を感じており、日本
の防衛にも不安を持っていたといわれます。連合国最高司令官との19
回にも及ぶ会談で、天皇は再軍備についても訴えています。そのとき
の様子について、<占領時代にGHQ最高司令官のマッカーサーやリ
ッジウェーとわたり合う昭和天皇は、その場に立ち会った通訳の秘密
メモによると、さながら「大日本帝国憲法」の元首として軍を統率し
た大元帥の姿を彷彿させる有様が浮き彫りにされている。>と書かか
れています

昭和天皇は、東条英機などA級戦犯が合祀されてから、靖国神社には
参拝していないことから、東条が嫌いだったともいわれていますが、
東条が処刑された7日後に遺族宅に勅使を差し向け、「東条だけは本
物だった」との伝言を伝えています。これは筆者が勝子未亡人から直
接聞いた実話です。昭和天皇の戦争観も、「大東亜戦争は自衛上やむ
を得なかった」ということではなかったでしょうか?       
                          (つづく)

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか(1/3)

kozoku



先日、本屋を冷やかしていましたら、「明仁さん、美智子さん、皇族
やめませんか 元宮内庁記者から愛をこめて」(板垣恭介著、大月書
店、2006年1月)という本が目につきました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272210866/249-4525098-4725921

ショッキングなタイトルに釣られて手にとってみますと、どうも女性
週刊誌ばりの皇室物とは違うようです。著者の略歴を見ますと、1933
年生まれと、今の天皇や私と同じ歳です。以下に引用する、「はじめ
に」に書かれた自己紹介も、戦争時代の私とオーバーラップします。
そこでつい買い求め、一気に読みました

全文を表示 »

東京裁判に関する社説

日本の戦争指導者を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷して
から、3日でちょうど60年になります。今朝の朝日、読売の両紙はとも
に社説でこの東京裁判を採りあげ、戦争のことをもう一度考えてみた
いと書いています。

開廷60年 東京裁判を知ってますか」(朝日)
< 朝日新聞の最近の世論調査で、驚くような結果が出た。聞かれた
人の7割、とくに20代の9割が東京裁判の内容を知らなかった。そ
して、東京裁判や戦争についての知識の少ない人ほど、今の靖国神社
のあり方を是認する傾向がある。

 歴史を知らずして、過去を判断はできない。まずは歴史と向き合う
こと。東京裁判60年を機会に、改めてその重要性を考えたい。>

「[東京裁判60年]戦争責任糾明は国民自身の手で」(読売)
< 「連合国」による“戦犯”選定基準、東京裁判の枠組みの妥当性
をも、検証し直す必要があるのではないか。

 とはいえ、あの無謀な戦争で300万人以上の国民を死に追いやり、
他国にも甚大な被害を及ぼした指導者たちの責任は、極めて重い。だ
れに、どの程度の責任があったのか。>

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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